浅田貞次郎
日本の政治家
浅田 貞次郎(淺田、あさだ ていじろう、1855年(安政2年6月[1][2]) - 1942年(昭和17年)2月10日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
編集播磨国神東郡福本村(のち兵庫県神崎郡粟賀村→神崎町、現・神河町)生まれ[1]。朝来郡生野町(現・朝来市)の浅田家を継ぐ[1]。漢学を学ぶ。戸長、生野町会議員、朝来郡会議員、同参事会員、同議長、兵庫県会議員、生野電信郵便局長、所得税調査委員、勧業会議員、生野銀行頭取、借地借家調査委員、播但鉄道創立委員、育英会長、在郷軍人会青年団顧問、浅田明礬会社、播磨化学工業(株)各社長となる[1][2]。
1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において兵庫9区から山下倶楽部公認で立候補して当選した[3]。衆議院議員を1期務め、同年8月の第6回衆議院議員総選挙は不出馬。1942年に死去した。
脚注
編集参考文献
編集- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。