津市立高茶屋小学校
三重県津市にある小学校
津市立高茶屋小学校(つしりつ たかぢゃやしょうがっこう)は、三重県津市高茶屋三丁目にある、公立の小学校。同市城山一丁目12番3号にあすなろ分校(あすなろぶんこう)を設置していた[1]。
津市立高茶屋小学校 | |
---|---|
北緯34度40分18.0秒 東経136度30分31.9秒 / 北緯34.671667度 東経136.508861度座標: 北緯34度40分18.0秒 東経136度30分31.9秒 / 北緯34.671667度 東経136.508861度 | |
過去の名称 |
小森学校 高茶屋尋常小学校 高茶屋尋常高等小学校 津市高茶屋尋常高等小学校 津市高茶屋国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 津市 |
設立年月日 | 1876年(明治9年)6月3日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B124220120097 |
所在地 | 〒514-0819 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
2012年(平成24年)5月1日現在の生徒数は19学級518人、特別支援学級は2学級10人[2]。あすなろ分校は6学級35人[2]。津市で最もブラジル国籍の児童が多く在籍する学校で、津市における日本語教育拠点校となっている[3]。
施設
編集沿革
編集開校から終戦まで(1876-1947)
編集- 1876年(明治9年)6月3日 - 一志郡小森村に「小森学校」として創立[5]。小森村・小森上野村の児童が通学し、修業年限4年の下等科を置いた[5]。
- 1880年(明治13年)4月 - 上等科を設置[5]。
- 1882年(明治15年) - 夜学会を設置するも、翌年には廃止となる[5]。
- 1884年(明治17年)4月 - 中等科を設置[5]。
- 1888年(明治21年)4月 - 尋常科を設置[5]。
- 1889年(明治22年) - 高茶屋村発足により、高茶屋尋常小学校に改称[5]。
- 1892年(明治25年) - 唱歌、裁縫科を設置[5]。
- 1894年(明治27年) - 校舎を新築[5]。
- 1895年(明治28年) - 2年制の補習科を設置[5]。
- 1901年(明治34年)4月 - 補習科を廃止して2年制の高等科を設置、高茶屋尋常高等小学校に改称[5]。
- 1908年(明治34年)4月 - 義務教育延長により、高等科が尋常科に編入される[5]。
- 1909年(明治35年)4月 - 高等科、手工科を設置[5]。
- 1913年(大正2年)10月 - 校舎1棟を増設[5]。
- 1929年(昭和4年)5月25日 - 校舎の一部を焼失[5]。
- 1930年(昭和5年)3月 - 校舎の増改築が完成[5]。
- 1939年(昭和14年)7月1日 - 高茶屋村が津市に編入され、津市高茶屋尋常高等小学校に改称[6]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、津市高茶屋国民学校に改称[6]。
戦後(1947-)
編集- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)1月30日 - 払い下げを受けて南郊中学校が旧津海軍工廠守衛本部を改造した新校舎へ移転[8]。
- 1951年(昭和26年)5月 - 第1期工事完工[9]。以後、順次校地を拡張し、1962年(昭和37年)に第9期工事が完工する[9]。
- 1957年(昭和32年)10月1日 - 草の実分校(肢体不自由者)が開校[10]。
- 1962年(昭和37年)3月31日 - 草の実分校を閉校、翌4月1日から三重県立養護学校草の実分校が開校[10]。
- 1967年(昭和42年) - 「動くおもちゃ展」を開始、以後毎年継続する[3]。
- 1985年(昭和60年)4月 - あすなろ分校が開校[11]。
- 2006年(平成18年)12月12日 - 6年生の担任が通知表を紛失したと津市教育委員会が公表[12]。
- 2007年(平成19年)9月11日 - 4年生が鳥羽市の答志島で体験学習を実施[13]。
- 2017年(平成29年)4月1日 - あすなろ分校を三重県立かがやき特別支援学校へ移管[1]
通学区域
編集周辺
編集南隣に津市立南郊中学校がある。三重交通路線バス「里の上」バス停より徒歩約6分(約500m)、JR紀勢本線高茶屋駅より徒歩約8分(約700m)である。学校前を通る津市道は、近くにあったイオン津南ショッピングセンターサンバレーへの抜け道のため交通量が多く、2001年(平成13年)には2人の児童が交通事故で亡くなっている[15]。
関係者
編集出身者
編集元教員
編集脚注
編集- 注釈
- 出典
- ^ a b “三重県立かがやき特別支援学校(仮称)について”. 三重県. 2017年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月1日閲覧。
- ^ a b 津市教育委員会(2012):20ページ
- ^ a b 鹿野幹男「ぼくらの学校 わたしのクラス 高茶屋小学校」朝日新聞1998年6月23日付朝刊、三重版
- ^ a b c d 津市教育委員会(2012):50ページ
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 西田(1969):203ページ
- ^ a b c d 西田(1969):204ページ
- ^ 西田(1969):241ページ
- ^ 西田(1969):96, 241ページ
- ^ a b 西田(1969):204ページ
- ^ a b 西田(1969):304ページ
- ^ “小児心療センターあすなろ学園:施設概要・組織・沿革”. 三重県立小児心療センターあすなろ学園. 2017年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月1日閲覧。
- ^ "6年生32人分の通知表を紛失 津の小学校、廃棄か"朝日新聞2006年12月12日付夕刊、名古屋版10ページ
- ^ "離島の自然「面白かった」 津の小学生、体験学習"朝日新聞2007年9月12日付朝刊、三重版21ページ
- ^ a b c d 津市教育委員会事務局"津市学区一覧表"(2013年7月21日閲覧。)
- ^ "命を守る方法考えて欲しい 津・高茶屋小で事故追悼集会"朝日新聞2001年5月12日付朝刊、名古屋版31ページ
- ^ a b 津市立高茶屋小学校"夢をかなえた先輩たち"2012年12月4日更新(2013年7月21日閲覧。)
- ^ 高浜行人"夢追い教師、競艇転身 「挑戦、子らに見せる」 29歳、津で9日初陣"朝日新聞2010年5月7日付夕刊、名古屋版7ページ
参考文献
編集- 津市教育委員会『教育要覧 平成24年度版』平成24年10月、88p.
- 西田重嗣『津市史 第五巻』津市役所、昭和44年3月15日、808p.
関連項目
編集外部リンク
編集- 津市立高茶屋小学校 - 公式サイト