泰道照山
日本の実業家
泰道 照山(たいどう しょうざん、1907年(明治40年)1月2日 - 1984年(昭和59年)2月20日)は、日本の実業家である。元エスエス製薬会長。
経歴
編集三重県度会郡小川郷村[1]出身[2][3]で、勘吉の三男[2]。
1919年(大正8年)に神戸鉄道教習所を卒業[2]して港町運輸事務所と大東被服に勤めたのち、1930年(昭和5年)に独立[2]する。1942年(昭和17年)に東京第十布帛工業を設立して社長となり、東京都布帛製品工業協組専務理事、泰東布帛製品卸商組合理事を歴任[2]する。朝鮮動乱の好景気で財を成す[3]。
エスエス製薬は金融操作の誤りから1958年(昭和33年)2月に経営不振となり、社長から六代目白井正助が退いて土手守吉が就く[4]。江戸時代の創業来続いた白井一族の手を離れ、泰道は11月に社長[4]、1970年(昭和45年)12月に会長[5]に就く。
人物像
編集孫の宮本佳代子は小泉純一郎と結婚したが、佳代子の父親的存在の泰道は反対[6]した。佳代子は政治家の妻に不安を抱くも、小泉純一郎から「“何の心配もいらない”と言われ、その言葉を信じて嫁に行った[6]」と述べている。
家族・親族
編集- 父・勘吉[2]
- 妻・とみ[2]
- 養子・正年[2]1927年(昭和2年)6月生[2] - 実業家
- 長女・志計子 - 泰道繊維系列の東洋化工で専務を務める宮本輝久(明治大学商学部卒)に嫁いだが、1974年に夫と死別[3]。娘の宮本佳代子(1956年(昭和31年) - )は青山学院大学在学中の1978年に小泉純一郎と見合い結婚し、小泉孝太郎、小泉進次郎ら3児[3]を儲けた。
- 次女[2]1938年(昭和13年)9月生[2] - 夫の泰道正年(旧姓・藤田)は東京大学工学部を卒業して泰道リビング社長、会長、全日警会長[3]を務める。
- 三女[2]1940年(昭和15年)11月生[2] - 夫の数土直方(数土文夫の兄)は東京大学工学部を卒業してエスエス製薬社長、会長を経て名誉会長[3]を務める。
- 長男・三八(旧名:彰良) 1945年(昭和20年)1月生[2] - 慶應義塾大学経済学部、エスエス製薬、東都信用組合を経て、自由民主党衆議院議員、のちにコスモ信用組合事件で懲役3年6か月[7]を受刑する。
- 四女[2]1950年(昭和25年)生[2] -
- 五女[2]1953年(昭和28年)生[2] -