河北俊弼
河北 俊弼[1](かわきた としすけ、旧名・義次郎[1]、天保15年(1844年)4月 - 明治24年(1891年)3月8日[1])は、日本の武士(萩藩士)、外交官。朝鮮国駐箚弁理公使[1]。従四位勲三等[1]。族籍は山口県士族[1]。モデルで女優の河北麻友子の高祖父にあたる[2]。
人物
編集長門国萩(現・山口県萩市)出身。松下村塾に入り、吉田松陰に学ぶ。1872年、英国公使館御用掛となる[1]。西南戦争に従軍して陸軍少佐となる[1]。1878年、広島衛戍司令官となる[1]。
1888年、サンフランシスコ領事[1]。1890年、京城公使館の書記官、まもなく同公使館の代理公使となる[1]。1891年、流行性感冒に肺結核を併発し、病死する[1]。享年48[1]。
脚注
編集参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 河北俊弼書翰 大隈重信宛 - 早稲田大学図書館古典籍総合データベース