水野 勝庸(みずの かつのぶ)は、下総結城藩の第3代藩主。水野宗家8代。

 
水野勝庸
時代 江戸時代中期
生誕 享保3年5月4日1718年6月2日
死没 寛延2年10月10日1749年11月19日
戒名 隆徳院大雲慈忍
墓所 東京都港区三田の常林寺
官位 従五位下、下野守、日向
幕府 江戸幕府日光祭礼奉行、田安門番、馬場先門番、和田倉門番
主君 徳川吉宗家重
下総国結城藩
氏族 水野氏
父母 父:水野勝政、母:青山氏
兄弟 勝庸勝盛勝前勝珍
正室榊原政邦の娘
継室風早実積の娘
養子:勝前
テンプレートを表示

生涯

編集

享保3年(1718年)5月4日、第2代主・水野勝政の長男として生まれる。享保17年(1732年)6月27日に元服して六左衛門勝庸と名乗る。享保19年(1734年)12月18日、従五位下、下野守に叙位任官する。元文元年(1736年)11月18日、父の隠居にともない家督を継ぎ、11月20日に日向守に遷任する。

その後は日光祭礼奉行をはじめ、田安門番、馬場先門番、和田倉門番などを歴任した。寛延2年(1749年)10月10日に江戸赤坂の藩邸で死去した。享年32。跡を養子勝前が継いだ。

系譜

編集

父母

正室、継室

養子