水島 彦一郎(みずしま ひこいちろう、1882年明治15年)11月1日[1][2] - 1953年昭和28年)2月13日[3])は、日本の衆議院議員立憲政友会)。旧舞鶴市長

水島彦一郎

経歴

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京都府加佐郡中筋村(現在の舞鶴市)出身[1]1906年(明治39年)、早稲田大学政治経済科を卒業[2][3][4]東京日日新聞記者、東京毎日新聞記者を経て、富士製紙に勤めた[1][4]第一次世界大戦中は大阪で松田製作所、大阪金工などの軍需工業の経営に従事した[4]。その後郷里に戻り、中筋村会議員、加佐郡会議員、同参事会員に当選[1][3]。また京都府会議員に2回選出され、参事会員、郡部会議長、議長を歴任した[1][3]。また舞鶴町長に選ばれ、加佐郡町村長会会長、京都府町村長会会長、全国町村長会副会長に就いた[1]。その他、加佐郡蚕業会長、同農会長、同畜産組合長、京都府教育会加佐郡部会長を務めた[3]

1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第17回第18回でも再選を果たした。

1942年(昭和17年)、旧舞鶴市長に就任し[2]、翌年に東舞鶴市と合併するまでその職にあった。

戦後、公職追放となった[5]1951年追放解除[6]

著書

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  • 『有色民族の更生』(猶興書院、1937年)
  • 『有本国蔵翁』(舞鶴町、1937年)
  • 『更生政友会の展望』(猶興書院、1939年)
  • 『中島知久平氏と其革新政策』(猶興書院、1940年)

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 京都府人物誌 1928, pp. 284–286.
  2. ^ a b c d 大衆人事録 1943, p. 京都90.
  3. ^ a b c d e 議会制度七十年史 衆議院議員名鑑 1962, p. 486.
  4. ^ a b c 早稲田大学紳士録 1940, p. 812.
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿363頁。公職追放の該当事項は「翼賛舞鶴市支兼協推薦議員」。
  6. ^ 『朝日新聞』1951年6月19日朝刊1面。

参考文献

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  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。 
  • 京都府人物誌刊行会編『京都府人物誌』舞鶴堂、1928年。 
  • 早稲田大学紳士録刊行会編『昭和十五年版 早稲田大学紳士録』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。