権良淑
権 良淑(けん・りょうしゅく、クォン・ヤンスク、ハングル:권양숙、1947年12月23日 - )は、第16代大韓民国大統領・盧武鉉の妻で、元大韓民国ファーストレディ(2003年 - 2008年)である。本貫は安東権氏[1]。
権良淑 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 권양숙 |
漢字: | 權良淑 |
発音: | クォン・ヤンスク |
日本語読み: | けん・りょうしゅく |
ローマ字: | Kwon Yang-sook |
概要
編集慶尚南道馬山市鎭北面(現・慶尚南道昌原市馬山合浦区鎭北面)出身。ケソン女子商業高校卒業。
盧武鉉とは同郷で、1973年1月に恋愛結婚した。盧武鉉が司法試験に合格したとき、夫のひざに顔を埋めて泣いたという[2]。
しかし、昇進に関して疑惑のあるクォン・キジェ元大統領府行政官(2004年までに27年間地方の税務署で勤務した後に、大統領府行政官にまでに昇進した)が、彼女の弟の同級生であったことへの疑惑もあった[3]。さらに弟の銀行家クォン・ギムンも、盧武鉉政権発足後に急激な昇進をしていることも、一部で疑惑の目を向けられている[4]。なお、3100万ウォンを横領した疑いで2006年3月に逮捕された韓国の土建会社代表は、権良淑の末弟を名乗っていたが実際は無関係であった[5]。
社会福祉や、教育などの児童・青少年問題、女性などの家庭に関した諸問題に関心があるようである。趣味は音楽鑑賞、読書、水泳、登山。また、彼女は夫・盧武鉉と一緒に二重瞼へ整形をしている[6]。
2003年にシンガポールを訪問した際、「権良淑蘭」と名付けられた新しい品種の蘭を受け取っている[7]。
2004年に、国連国際家族年10周年記念・大韓民国代表夫婦選定委員会による、「韓国を代表するおしどり夫婦」のアンケート調査では、夫の盧武鉉と共に3位に選ばれた[8]。
2006年には、就業ポータル・キャリアと韓国の女性週刊誌『ウーマンタイムズ』が行ったアンケート調査・「韓国のパワーウーマン・トップ10」で第五位に選ばれた[9]。
2019年5月24日、夫の盧武鉉元大統領の没後10年の追悼式典に参列した。式典にはほかに、ブッシュ元大統領、文在寅大統領の配偶者である金正淑夫人が参列した。盧武鉉財団によると、当日会場となった元大統領の故郷である慶尚南道金海市烽下村へ、2万人を超える市民の訪問があった[10]。
2022年6月13日、尹錫悦大統領夫人である金建希の訪問を受けた。これは尹大統領就任後、初の夫人の単独公式活動となる。金は韓国高速鉄道を利用して、烽下村に入った。夫の盧武鉉元大統領の墓に詣でたのち、権良淑宅に移動し、1時間半ほど対談した[11]。
収賄事件
編集2009年4月11日、朴淵次泰光実業会長から100万ドル(約1億490万円)などを受け取った疑いで釜山地方検察庁に出頭を求められ、調査を受けた[12]。盧は在任中に権が受領したことで、検察の調査を受けた。この直後である5月23日早朝自殺した[13][14]。
脚注
編集- ^ “‘권양숙 9촌’ 지목당한 고용정보원 직원 “사실 아냐”” (朝鮮語). www.hani.co.kr (2017年4月28日). 2022年7月13日閲覧。
- ^ 『親近感ある「庶民型ファーストレディー」権良淑氏』朝鮮日報、2002年12月20日
- ^ 『【賭博機】渦中の人物は大統領夫人の弟の友人』朝鮮日報、2006年9月1日。
- ^ 『盧武鉉大統領夫人の弟、3年半で「超高速昇進」』朝鮮日報、2006年8月25日
- ^ 『「盧大統領夫人の弟」名乗り3千万ウォン横領』朝鮮日報、2006年3月9日
- ^ 『大統領夫人も二重まぶたに 大統領と一緒に手術』朝鮮日報、2005年2月28日
- ^ 『シンガポールに‘クォン・サンウ蘭’誕生』中央日報、2006年8月28日。
- ^ 『韓国を代表する“おしどり夫婦”はチェ・スジョン&ハ・ヒラ 』朝鮮日報、2004年5月24日
- ^ 『韓国パワーウーマンのトップは朴槿恵氏』中央日報、2007年1月3日。
- ^ “故盧武鉉元大統領の10周年追悼式”. 海外文化弘報院 (2019年5月24日). 2020年4月26日閲覧。
- ^ キム・ウンジュン (2022年6月14日). “金建希夫人「映画『弁護人』を見て泣きました」権良淑夫人「トップの地位は耐えること多い」”. 朝鮮日報 2022年6月18日閲覧。
- ^ “権良淑氏の検察調査、前職大統領夫人では史上2人目”. YONHAP NEWS. (2009年4月13日) 2020年4月26日閲覧。
- ^ 大きな権限背景に[リンク切れ]
- ^ “盧武鉉前大統領、岸壁で飛び降り死亡”. 東亜日報. (2009年5月24日) 2020年4月26日閲覧。