榎本 就全(えのもと なりまさ)は、江戸時代武士毛利氏の家臣で、長州藩士。300石。父は榎本就時、養父は榎本就行

 
榎本就全
時代 江戸時代
生誕 寛永3年(1626年
死没 元禄4年閏8月7日1691年9月28日
改名 榎本幸松(幼名)→榎本就全
別名 通称:十兵衛、八郎左衛門
墓所 大寧寺山口県長門市深川湯本
官位 伊織助(官途名
主君 毛利秀就綱広吉就
長州藩
氏族 藤原北家高藤流上杉氏庶流 榎本氏
父母 父:榎本就時
養父:榎本就行
兄弟 女(桂五郎左衛門室)、就益就全
三戸就忠藤井就久良仙末近忠徳有地忠通
正室:榎本就行の娘
行全
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生涯

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寛永3年(1626年)、長州藩士である榎本就時の次男として生まれる。

寛永11年(1634年5月28日毛利秀就から「就」の偏諱と、伊織助の官途名を与えられ、以後、秀就、綱広吉就の三代に仕えた。また、叔父の榎本就行に嗣子がいなかったため婿養子となり、その後を継いでいる。

元禄4年(1691年)閏8月7日に死去。享年66。子の行全(市左衛門、三四郎、源左衛門)が後を継いだ。

参考文献

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