椎原国太
人物
編集陸軍砲兵局の陸軍砲兵工廠に勤務していた椎原は、明治9年(1876年)、下士官である陸軍鞍工長に任じられる。それから5年後の明治14年(1881年)に、福島県職員として採用され翌年には、警部となり福島県石川警察署長を務めた。その後は福島を去り富岡門前警察署長、小松川警察署長、赤阪警察署長、秋田県警察部長などを歴任したが明治32年(1899年)に依願退職した。この間、北海道内の郡長や第5代函館区長も務めた。明治35年(1902年)、再び郡長となり、山形県北村山郡長、奈良県宇智郡長、大分県大野郡長を歴任した。
経歴
編集- 1876年(明治9年)1月21日 - 任 陸軍鞍工長[1]
- 陸軍砲兵工廠勤務[2]
- 1881年(明治14年)2月 - 福島県へ採用[2]
- 1882年(明治15年)8月 - 警部[3]
- 福島原田警察長
- 五等警視
- 1889年(明治22年)3月23日 - 富岡門前警察署長 拝命[4]
- 1890年(明治23年)5月23日 - 任 室蘭虻田有珠幌別勇払白老郡長[5][6]
- 1891年(明治24年)
- 釧路阿寒白糠足寄広尾当縁十勝中川河西河東上川厚岸川上郡長
- 1892年(明治25年)10月15日 - 任 警視、補 小松川警察署長[8]
- 1893年(明治26年)
- 1897年(明治30年)4月26日 - 任 秋田県警察部長[11]
- 1899年(明治32年)4月8日 - 依願免本官[12]
- 1902年(明治35年)11月10日 - 任 山形県北村山郡長[13]
- 1904年(明治37年)10月20日 - 任 奈良県宇智郡長[14]
- 1907年(明治40年)8月5日 - 任 大分県大野郡長[15][16]
栄典
編集- 位階
- 勲章等
脚注
編集- ^ 「第4号1月21、22、24、25、26日、明治8年11月5、9、15、17、19、23日、12月5、28日、1月10、14日分」 アジア歴史資料センター Ref.C08010442500
- ^ a b 「2月8日 福島県令 陸軍砲兵工廠椎原国太福島県へ任用候条御通知」 アジア歴史資料センター Ref.C09121802100
- ^ 『改正官員録』 明治15年8月 福島県。
- ^ 『官報』第1718号「叙任及辞令」1889年3月26日。
- ^ 『官報』第2069号「叙任及辞令」1890年5月26日。
- ^ (国立公文書館デジタルアーカイブ)北海道庁・五等警視椎原国太北海道室蘭、有珠、虻田、幌別、勇払、白老郡長ニ転任ノ件
- ^ 『官報』第2270号「叙任及辞令」1891年1月26日。
- ^ 『官報』第2793号「叙任及辞令」1892年10月18日。
- ^ 『官報』第3066号「叙任及辞令」1893年9月15日。
- ^ 『官報』第3144号「叙任及辞令」1893年12月20日。
- ^ 『官報』第4142号「叙任及辞令」1897年4月27日。
- ^ 『官報』第4728号「叙任及辞令」1899年4月10日。
- ^ 『官報』第5807号「叙任及辞令」1902年11月11日。
- ^ 『官報』第6394号「叙任及辞令」1904年10月21日。
- ^ 『官報』第7231号「叙任及辞令」1907年8月6日。
- ^ (国立公文書館デジタルアーカイブ)奈良県宇智郡長椎原国太外二名大分外一県郡長ニ専任ノ件
- ^ 『官報』第2438号「叙任及辞令」1891年8月14日。
- ^ 『官報』第7193号「叙任及辞令」1907年6月22日。
- ^ 『改正官員録』 明治15年8月 福島県「警部 勲七等 椎原国太」。
- ^ 『官報』第1473号「叙任及辞令」1888年5月30日。
- ^ 『官報』第3901号「叙任及辞令」1896年7月1日。
出典
編集- 『官報』
- 『改正官員録』
- 『アジア歴史資料センター』
- 『国立公文書館デジタルアーカイブ』