植竹 春彦[1](うえたけ はるひこ、1898年明治31年)2月27日[2] - 1988年昭和63年)5月20日)は、日本実業家政治家参議院議員。位階正三位

植竹春彦
うえたけ はるひこ
生年月日 1898年2月27日
出生地 日本の旗 日本 東京都
没年月日 (1988-05-20) 1988年5月20日(90歳没)
出身校 東京商科大学卒業
(現・一橋大学
前職 実業家
所属政党 (無所属→)
自由党→)
自由民主党
称号 正三位
勲一等瑞宝章
配偶者 植竹ミツ
子女 次男・植竹繁雄
親族 義祖父・植竹三右衛門(貴族院議員)
義父・植竹三右衛門(川西町長)
義叔父・植竹龍三郎(衆議院議員)
宗教 浄土宗

日本の旗 第14代 郵政大臣
内閣 第2次岸改造内閣
在任期間 1959年6月18日 - 1960年7月19日

選挙区 栃木県選挙区
当選回数 5回
在任期間 1947年5月3日 - 1974年7月7日
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経歴

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東京都出身[1][2]。藤井鼎・貞子の七男に生まれ[3]植竹三右衛門の養子となる。1924年東京商科大学(現・一橋大学)卒業[1][4]

日本大学講師、東邦電力勤務を経て1935年東野鉄道(現・東野交通支配人となり、以来専務社長を歴任して1948年に会長となる[2]1947年以来5回参議院議員に当選。民主党自由党各総務、党政調会副会長、副幹事長、党紀委員長を歴任。

1951年、参議院運輸委員長として運輸事情調査のため渡米。1959年6月、第2次岸内閣改造内閣の郵政大臣に任命され、同年9月万国電気通信会議政府首席全権として渡欧。更に欧米の郵政電通電波事情を視察。1960年7月、総辞職退任。

1968年、党電信電話基本問題調査会長、自民党衆参両院議員総会長、1972年、永年永年勤続議員として表彰。1974年ベネズエラ国特派大使に任命され同年7月任期満了と共に参議院議員を退任した。

1988年(昭和63年)5月20日、死去、90歳。死没日をもって正三位に叙され、銀杯一組を賜った[5]

人物

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趣味はスポーツ園芸、読書[2]。宗教は浄土宗[2]。住所は栃木県那須郡川西町黒羽[2](現・大田原市)。東京宅は東京都三鷹市牟礼[2]

略歴

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家族

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栄典

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脚注

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  1. ^ a b c 『逓信人物論 上巻』59 - 60頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第16版 上』う15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月1日閲覧。
  3. ^ 『人事興信録 第25版 上』う59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月1日閲覧。
  4. ^ 『東京商科大学一覧 自大正13年至14年』198頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月1日閲覧。
  5. ^ 『官報』第18380号8-9頁 昭和63年6月1日号
  6. ^ a b 植竹 春彦https://kotobank.jp/word/%E6%A4%8D%E7%AB%B9%20%E6%98%A5%E5%BD%A6コトバンクより2022年12月16日閲覧 

参考文献

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  • 東京商科大学編『東京商科大学一覧 自大正13年至14年』東京商科大学、1921 - 1926年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第16版 上』人事興信所、1951年。
  • 森本靖『逓信人物論 上巻』野村書店、1966年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第30版』人事興信所、1979年。

関連項目

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公職
先代
寺尾豊
  郵政大臣
第14代:1959年 - 1960年
次代
鈴木善幸
議会
先代
佐々木鹿蔵
  参議院運輸委員長
1950年 - 1951年
次代
山縣勝見