日本生化学会
(柿内三郎から転送)
公益社団法人日本生化学会(にほんせいかがくかい、英: The Japanese Biochemical Society)は、生化学研究の推進を目的とする日本の学術団体。
にほんせいかがくかい 公益社団法人日本生化学会 | |
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英語名称 | The Japanese Biochemical Society |
略称 | JBS |
法人格 | 公益社団法人 |
法人番号 | 4010005004108 |
専門分野 | 医学系 |
設立 | 1925年 |
会長 | 山本雅之(2018年-2019年) |
事務局 |
日本 〒113-0033 東京都文京区本郷5-25-16 石川ビル3階 |
会員数 | 約9,000名 |
刊行物 | 『生化学』、『Journal of Biochemistry』 |
ウェブサイト |
www |
概要
編集1925年、医化学(医学系の生化学)研究者を会員として設立された。当初は医学系を中心としたため、現在も日本医学会に加盟しているが、現代ではそれに限らず、理学系・農学系・工学系の研究者も多数参加している。学会誌として日本語誌『生化学』、英文学術誌『Journal of Biochemistry』を発行している。2012年9月、公益社団法人に移行。
現在は生化学と分子生物学との境界が曖昧になってきたため、日本分子生物学会(1978年設立)とは特に密接な関係があり、しばしば合同大会を開催している。その他隣接分野の学会としては、日本生物工学会、日本薬学会、日本農芸化学会、日本細胞生物学会などがある。
創立者
編集創立者の柿内三郎(1882-1967)は、旧田安徳川家家臣で資産家であった柿内家の三男として生まれ[1]、東京帝大医科大学卒業後、隈川宗雄に招かれ講師となり、米国留学を経て同大教授となり、1927年に生化学教室を創設[2]。私費で『生化学雑誌』を創刊し、「東京生化学者宵の会」を設立するなど、日本の生化学研究の基礎作りに貢献した[2]。定年後は日本学園校長を務めた[2]。小金井良精の娘婿、星一とは相婿[1]。弟の柿内照康は実業家で、柿内合名会社代表、内外製薬研究所長、大日本勧業貯蔵会代表などを務めた[3]。長男の柿内賢信(1913-1995)は物理学者で、東京大学名誉教授、国際基督教大学教授、東京神学大学教授を務めた[4]。
歴代会長
編集歴代会長は以下の通り[5]。
- 児玉桂三(1949-1952年)
- 正宗一(1953年)
- 内野仙冶(1954年)
- 赤松茂(1955年)
- 広畑竜造(1956年)
- 藤田秋治(1957年)
- 安田守雄(1958年)
- 市原硬(1959年)
- 上代晧三(1960年)
- 赤堀四郎(1961年)
- 田宮博(1962年)
- 島薗順雄(1963年)
- 古武弥人(1964年)
- 大島康義(1965年)
- 赤堀四郎(1966年)
- 鈴木友ニ(1967年)
- 江上不二夫(1968年)
- 早石修(1969年)
- 奥貫一男(1970年)
- 浮田忠之進(1971年)
- 船津勝(1972年)
- 山川民夫(1973年)
- 水野伝一(1974年)
- 田宮信雄(1975年)
- 今堀和友(1976年)
- 丸尾文治(1977年)
- 髙木康敬(1978年)
- 菊地吾郎(1979年)
- 佐藤了(1980年)
- 山科郁男(1981年)
- 野島庄七(1982年)
- 山野俊雄(1983年)
- 池中徳治(1984年)
- 上代淑人(1985年)
- 村地孝(1986年)
- 大澤利昭(1987年)
- 永井克孝(1988年)
- 沼正作(1989年)
- 市原明(1990年)
- 永津俊治(1991年)
- 西塚泰美(1992年)
- 左右田健次(1993年)
- 鈴木紘一(1994年)
- 岩永貞昭(1995年)
- 山本尚三(1996年)
- 安楽泰宏(1997年)
- 石村巽(1998年)
- 中澤淳(1999年)
- 市川厚(2000年)
- 鏡山博行(2001年)
- 川嵜敏祐(2002年)
- 村松 喬(2003年)
- 竹縄忠臣(2004年)
- 成宮周(2005年)
- 市川厚(2006年)
- 宮島篤(2007年)
- 三品昌美(2008年)
- 中野明彦(2009年)
- 北潔(2010-2011年)
- 石川冬木(2012-2013年)
- 中西義信(2014-2015年)
- 水島昇(2016-2017年)
- 山本雅之(2018-2019年)
- 菊池章(2020-2021年)
- 一條秀憲(2022-2023年)
- 横溝岳彦(2024年-)