柴田紳一
日本の歴史学者
柴田 紳一(しばた しんいち、1958年 - )は、日本の歴史学者。学位は文学士[1]。國學院大學文学部史学科准教授。専攻は日本近現代史。軍事史学会・日本国際政治学会に所属。
人物情報 | |
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生誕 | 1958年(65 - 66歳) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 國學院大學文学部史学科 |
学問 | |
研究分野 | 日本近代史 |
研究機関 | 國學院大學 |
学位 | 文学士 國學院大學 |
学会 |
国史学会 政治経済史学会 軍事史学会 日本歴史学会 日本国際政治学会 |
主な受賞歴 | 吉田茂賞 |
脚注 |
略歴
編集著書
編集単著
編集- 『昭和期の皇室と政治外交』(原書房〈明治百年史叢書〉 1995年)
- 『日本近代史研究余録 人物・史料・書物・読書』(渡辺出版 2009年)
共著・編著
編集- 『人間 吉田茂』(吉田茂記念事業財団編 中央公論社 1991年)
- 『明治国家形成と井上毅』(梧陰文庫研究会編 木鐸社 1992年)
- 『大中臣祭主藤波家の歴史』(藤波家文書研究会編 続群書類従完成会 1993年)
- 『開戦と終戦―太平洋戦争の国際関係』(情報文化研究所 1998年)
- 『井上毅とその周辺』(梧陰文庫研究会編 木鐸社 2000年)
- 『大中臣祭主藤波家の研究』(國學院大學日本文化研究所編 続群書類従完成会 2000年)
- 『梧陰文庫総目録』(國學院大學日本文化研究所編 東京大学出版会 2005年)
- 『深沢暹関係文書目録』(國學院大學日本文化研究所 2005年)
- 『吉田茂書翰 追補』(吉田茂国際基金 2011年)
論文(単行本未収分)
編集- 「日本側戦犯自主裁判構想の顛末」(『軍事史学』31(1・2)、1995年9月)
- 「昭和15年大竹貫一怪文書事件」(『國學院大學日本文化研究所紀要』77、1996年3月)
- 「松平康昌述「内大臣の政治責任」」(同上78、1996年9月)
- 「皇室典範改正と外務省--条約局長萩原徹の活動を中心に」(同上79、1997年3月)
- 「東条英機宛松岡洋右書翰について」(同上80、1997年9月)
- 「藤波言忠と牧野伸顕--「人物払底」下の天皇側近」(同上81、1998年3月)
- 「第一回昭和天皇・マッカーサー会見と吉田茂」(同上82、1998年9月)
- 「「重臣ブロック排撃論者」としての久原房之助」(同上83、1999年3月)
- 「昭和十九年久原房之肋対ソ特使派遣問題」(同上84、1999年9月)
- 「重光葵外相の大東亜相兼摂」(同上85、2000年3月)
- 「昭和16年対米戦回避時クーデター説の検討」(同上86、2000年9月)
- 「昭和二十年二月重臣拝謁の経緯と意義」(同上87、2001年3月)
- 「内大臣木戸幸一の辞職」(同上88、2001年9月)
- 「参謀総長梅津美治郎と終戦」(同上89、2002年3月)
- 「昭和史上の『責任』論をめぐって」(同上90、2002年9月)
- 「昭和天皇の『終戦』構想」(同上91 2003年3月)
- 「昭和十六年皇居内大本営防空室設置問題」(同上92、2003年9月)
- 「昭和十六年皇太子避難計画について」(同上93、2004年3月)
- 「皇族参謀総長の復活 昭和六年閑院宮載仁親王就任の経緯」(同上94、2004年9月)
- 「米内光政内閣成立の経緯」(同上95、2005年3月)
- 「宮内大臣松平恒雄の進退と政局」(同上96、2005年9月)
- 「陸相東条英機の出現」(同上97、2006年3月)
- 「東条英機首相兼陸相の参謀総長兼任」(同上98、2006年9月)
- 「陸相阿南惟幾の登場」(同上99、2007年3月)
- 「重臣岡田啓介の対米終戦工作」(『政治経済史学』通号500、2008年4-6)
- 「平沼騏一郎の枢相再任と御前会議参列」(『栃木史学』通号26、2012年3月)
関連項目
編集脚注
編集- ^ 柴田紳一 國學院大學教員紹介 2022年2月閲覧