柴田 勝重(しばた かつしげ、生年不詳 - 文亀3年7月2日(1503年7月24日))は戦国時代の武将。通称源六、土佐守。子に柴田勝義がいる。
柴田義勝の子。足利義尚の家臣で後に斯波義連に仕えた [1]。
明応3年(1494年)より尾張国愛知郡社村に移り、一色村の城主となった(下之一色城)[2]。
文亀3年(1503年)7月2日死去。法名霊元院殿天信了運大居士[2]。
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