松平信広 (松平郷松平家)

松平郷松平家第3代当主

松平 信広(まつだいら のぶひろ、応永9年(1402年) - 文明13年10月8日1481年10月30日))は、室町時代武将。通称竹若丸三郎太郎左衛門松平郷松平家の祖。

略歴

編集

松平泰親岡崎岩津城に弟信光と共に移った際、信広に郷九箇村を譲り、これより代々領地とした[1]。後に脚気となり隠居。文明13年(1481年)10月8日死去、享年80[1]法名源心。墓所は晴暗寺(愛知県豊田市[2]。子に長勝

参考文献

編集
  • 『寛政重修諸家譜第1輯』(国民図書、1922年、200p)

脚注

編集
  1. ^ a b 国民図書 1922, p. 200.
  2. ^ 松平郷松平家”. 2022年9月22日閲覧。