東知立駅
東知立駅(ひがしちりゅうえき)は、愛知県碧海郡知立町大字知立[2]にあった、名古屋鉄道名古屋本線の駅。三河線と近接する位置にあり、かつては両路線に跨る知立駅(2代)であったが、現在の知立駅(3代)が開業したことで東知立駅と三河知立駅に分割。利用客の低迷により1968年(昭和43年)1月7日に廃止された。
東知立駅 | |
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東知立駅の遺構(2012年9月) ※現存せず | |
ひがしちりゅう HIGASHI CHIRYŪ | |
(0.6 km) 知立► | |
所在地 | 愛知県碧海郡知立町大字知立 |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 名古屋本線 |
キロ程 | 42.5 km(豊橋起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
801人/日 -1967年[1]- |
開業年月日 | 1923年(大正12年)6月1日 |
廃止年月日 | 1968年(昭和43年)1月7日 |
歴史
編集知立町内には1915年(大正4年)に三河鉄道(三鉄)が進出し、町内を南北に縦断する路線を形成していた。一方、愛知電気鉄道(愛電)も岡崎延伸にあたって東海道電気鉄道を合併し、東海道電気鉄道の免許線を一部変更して有松 - 知立 - 岡崎という町内を東西に横断する路線を計画していた[3]。三鉄線との交差についてははじめ同社の知立駅(初代)へ愛電が乗り入れる予定であったが、利害関係から両社の設計協議がまとまる見込みがなかったため、愛電は予定ルートを少し迂回して三鉄線を立体交差し、交点付近に新知立駅を設けて連絡を図ることになった[4]。なお、この協議で工事が遅延し、新知立駅正式開業に先立ち現在の知立駅付近に仮の新知立駅を先行開業させている[5]。
その後、1935年(昭和10年)に愛電は名岐鉄道と合併して名古屋鉄道(名鉄)が成立[6]。名鉄は1941年(昭和16年)には三河鉄道を合併する[7]。会社合併によって知立(初代)・新知立の両駅はともに名鉄所属となり、両駅を結ぶ連絡通路が設けられ知立駅(2代)として1つの駅に統合された[8]。もっとも別々の駅だったものを統合したために両線のホームは離れており、乗り換えは不便であった[9]。通路幅員も二間(約3 m)ほどしかなく、ラッシュ時には身動きができないほどの混雑を見せた[10]。このような実態から社内では盛土高架の本線側(旧・新知立駅)を「A知立」、地上駅の三河線側(旧・初代知立駅)を「B知立」と区別することもあった[11]。
しばらくはこの状態が続いたが、乗降客数の増加と設備の老朽化に伴い、名鉄は駅を約600 m西に移転し三河線の経路を変更する計画を知立町に打診した[9][12]。1950年(昭和25年)より始まった知立連絡線を介した三河線・名古屋本線間の直通運転も増発により無理が生じつつあった[11][5]。知立町議会は駅移転の必要性を認め、1959年(昭和34年)竣工を目途に事業計画を決定し、駅周辺の土地区画整理事業を進めることにした[12]。駅移転により従来の駅周辺の商店街への影響が懸念されたが、移転後も従来駅を存続させることが決まっていたため、移転反対の声は少数にとどまった[13]。
1959年(昭和34年)4月1日、移転地に現在の知立駅(3代)が開業した[5]。知立駅(2代)は移転後も存続となったが、駅は路線別に分割され、本線(A知立)側が東知立駅、三河線(B知立)側が三河知立駅となった[5]。駅分割に伴い連絡通路も撤去されている[8]。存続はしたものの、優等列車が停まらない小駅と化した東知立駅の乗降客数は次第に減少し、1968年(昭和43年)1月7日に廃止された[14]。晩年には普通電車も一部通過するようになっていた[8]。
東知立駅廃止後も三河線の三河知立駅はそのまま営業を続けたが、知立駅付近連続立体交差事業に関連して2024年(令和6年)3月16日に駅を約 900m東へ移転した[15]。東知立駅の遺構は長らく残っていたが、知立駅付近連続立体交差事業に伴い消滅した。
年表
編集- 1923年(大正12年)
- 1928年(昭和3年)6月1日:三河鉄道知立駅(初代) - 分岐点間の貨物連絡線(知立連絡線)が開通[17]。
- 1935年(昭和10年)8月1日:名岐鉄道と愛知電気鉄道とを合併し、名古屋鉄道発足。豊橋線の駅となる[6]。
- 1941年(昭和16年)
- 1948年(昭和23年)5月16日:路線名整理により豊橋線が名古屋本線となる[19]。
- 1959年(昭和34年)4月1日:現在の知立駅(3代)が開業し、旧駅は名古屋本線側を東知立駅、三河線側を三河知立駅に改称して分離[20]。
- 1966年(昭和41年)3月25日:ダイヤ改正により一部の普通列車が特別通過するようになる[21]。
- 1968年(昭和43年)1月7日:廃止[22]。
駅構造
編集新知立駅から東知立駅に至るまで、島式ホーム1面2線の単純な構造であった[23]。主要駅であった知立駅(2代)の頃は混雑緩和のために上下線で停車位置をずらして対応していた[11]。
配線図
編集↑ 東岡崎・豊橋方面 | ||
← 挙母・猿投・ 西中金方面 |
→ 刈谷・碧南・ 吉良吉田方面 |
|
↓ 新名古屋・新岐阜方面 | ||
凡例 出典:[11][24] |
利用状況
編集『愛知県統計年鑑』『知立の統計』等によると、年間および一日平均の乗車人員、乗降人員の推移は以下の通りである。
年 | 年間統計 | 一日平均 | 備考 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
乗車人員 | 乗降人員 | 乗車人員 | 乗降人員 | |||
総数 | 定期 | |||||
新知立駅 | ||||||
1925(大正14)年度 | 229,278 | 446,596 | 628 | 1,224 | [25] | |
1926(大正15)年度 | 286,462 | 551,469 | 785 | 1,511 | [26] | |
1927(昭和 | 2)年度300,625 | 579,811 | 821 | 1,584 | [27] | |
1928(昭和 | 3)年度301,966 | 573,885 | 827 | 1,572 | [28] | |
1929(昭和 | 4)年度318,171 | 589,631 | 872 | 1,615 | [29] | |
1930(昭和 | 5)年度269,815 | 510,490 | 739 | 1,399 | [30] | |
1931(昭和 | 6)年度244,523 | 448,800 | 668 | 1,226 | [31] | |
1932(昭和 | 7)年度206,762 | 398,282 | 566 | 1,091 | [32] | |
1933(昭和 | 8)年度212,029 | 399,086 | 581 | 1,093 | [33] | |
1934(昭和 | 9)年度215,554 | 407,415 | 591 | 1,116 | [34] | |
1935(昭和10)年度 | 200,901 | 368,703 | 549 | 1,007 | [35] | |
1936(昭和11)年度 | 160,666 | 309,728 | 440 | 849 | [36] | |
1937(昭和12)年度 | 229,069 | 433,807 | 628 | 1,189 | [37] | |
1938(昭和13)年度 | 209,825 | 416,163 | 575 | 1,140 | [38] | |
1939(昭和14)年度 | 278,939 | 557,737 | 762 | 1,524 | [39] | |
1940(昭和15)年度 | 374,838 | 746,820 | 1,027 | 2,046 | [40] | |
知立駅(2代) | ||||||
1941(昭和16)年度 | 8月1日に知立駅(初代)と統合 | |||||
1942(昭和17)年度 | ||||||
1943(昭和18)年度 | ||||||
1944(昭和19)年度 | ||||||
1945(昭和20)年度 | ||||||
1946(昭和21)年度 | 2,775,000 | *7,603 | [41] | |||
1947(昭和22)年 | 1,902,000 | 3,823,000 | *5,211 | *10,474 | 期間は1947年1月 - 1947年12月末[42] | |
1948(昭和23)年 | 1,527,000 | 3,059,000 | *4,172 | *8,358 | 期間は1948年1月 - 1948年12月末[43] | |
1949(昭和24)年度 | 1,456,000 | 748,000 | 2,955,000 | *3,989 | *8,096 | 期間は1949年5月 - 1950年4月末[44] |
1950(昭和25)年度 | 1,304,000 | 641,000 | 2,668,000 | *3,573 | 7,344 | 期間は1949年11月 - 1950年10月末[45][46] |
1951(昭和26)年度 | 1,779,000 | 888,000 | 3,577,000 | *4,861 | *9,774 | [47] |
1952(昭和27)年度 | 1,882,000 | 882,000 | 3,708,000 | 5,155 | 10,156 | [48] |
1953(昭和28)年度 | 1,986,000 | 940,000 | 3,910,000 | 5,440 | 10,712 | [49] |
1954(昭和29)年度 | 2,095,000 | 971,000 | 4,170,000 | 5,739 | 11,424 | [50] |
1955(昭和30)年度 | 2,139,000 | 1,038,000 | 4,248,000 | 5,846 | 11,680 | [51][46] |
1956(昭和31)年度 | 2,389,000 | 1,209,000 | 4,752,000 | 6,543 | 13,018 | [52] |
1957(昭和32)年度 | 2,608,000 | 1,346,000 | 5,167,000 | 7,145 | 14,156 | [53] |
1958(昭和33)年度 | ||||||
東知立駅 | ||||||
1959(昭和34)年度 | 315,101 | 860 | [54]4月1日に三河線三河知立駅と分割 | |||
1960(昭和35)年度 | 653,033 | 1,789 | [54] | |||
1961(昭和36)年度 | 724,475 | 1,984 | [54] | |||
1962(昭和37)年度 | 562,571 | 1,541 | [54] | |||
1963(昭和38)年度 | 346,779 | 947 | [54] | |||
1964(昭和39)年度 | 442,962 | 1,213 | [54] | |||
1965(昭和40)年度 | 490,230 | 1,343 | [1] | |||
1966(昭和41)年度 | 459,550 | 1,259 | [1] | |||
1967(昭和42)年度 | 293,210 | 801 | [1]1968年(昭和43年)1月7日廃止 |
斜体の値は千人単位(千人未満四捨五入)
* 千人単位からの概算値
隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b c d 知立市市長公室企画課(編) 『知立の統計 昭和47年刊』、知立市、1972年、20頁
- ^ 『停車場一覧. 昭和41年3月現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 新實守 著「三鉄ものがたり」、徳田耕一 編『名鉄の廃線を歩く』JTB、2001年、142, 149頁。ISBN 978-4533039232。
- ^ 知立市史編纂委員会(編)『知立市史 中巻』知立市教育委員会、1977年、95頁。
- ^ a b c d 澤田幸雄「名鉄の駅,構内設備の思い出」『鉄道ピクトリアル』第816巻、電気車研究会、2009年3月、143頁。
- ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、958頁。
- ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、964頁。
- ^ a b c 新實守 著「三鉄ものがたり」、徳田耕一 編『名鉄の廃線を歩く』JTB、2001年、66頁。ISBN 978-4533039232。
- ^ a b 名古屋鉄道株式会社社史編纂委員会(編)『名古屋鉄道社史』名古屋鉄道、1961年、397頁。
- ^ 知立市史編纂委員会(編)『知立市史 中巻』知立市教育委員会、1977年、97-98頁。
- ^ a b c d 澤田幸雄「名鉄の駅,構内設備の思い出」『鉄道ピクトリアル』第816巻、電気車研究会、2009年3月、142頁。
- ^ a b 知立市史編纂委員会(編)『知立市史 中巻』知立市教育委員会、1977年、506頁。
- ^ 知立市史編纂委員会(編)『知立市史 中巻』知立市教育委員会、1977年、507頁。
- ^ 知立市史編纂委員会(編)『知立市史 中巻』知立市教育委員会、1977年、508-509頁。
- ^ “知立駅付近連続立体交差事業に伴う三河知立駅の移設について”. 知立市. 2024年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月20日閲覧。
- ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、940頁。
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、946頁。
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、866頁。
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、980頁。
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、1000頁。
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、1018頁。
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、1022頁。
- ^ 清水武『名古屋鉄道各駅停車』洋泉社、2016年、193頁。ISBN 978-4-8003-0800-9。
- ^ 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 下巻』アルファベータブックス、2019年、185頁。ISBN 978-4865988482。
- ^ 『愛知県統計書. 大正14年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 大正15・昭和元年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和2年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和3年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和4年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和5年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和6年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和7年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和8年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和9年 第1編 土地、戸口、其他』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和10年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和11年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和12年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和13年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和14年 第1編』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和15年 第1編 土地、戸口、其他』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和21年』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和22年』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和23年』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『愛知県統計書. 昭和24年』、(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和27年刊行』、愛知県、1952年、328-330頁
- ^ a b 知立市史編纂委員会(編)『知立市史 中巻』知立市教育委員会、1977年、508頁。
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和28年刊行』、愛知県、1953年、312-314頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和29年刊行』、愛知県、1954年、331-333頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和30年刊行』、愛知県、1955年、307-309頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和31年刊行』、愛知県、1956年、305-307頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和32年刊行』、愛知県、1957年、321-323頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和33年刊行』、愛知県、1958年、337-339頁
- ^ 愛知県(編)『愛知県統計年鑑 昭和34年刊行』、愛知県、1959年、381-383頁
- ^ a b c d e f 愛知県碧海郡知立町企画課(編) 『知立の統計 '66』、知立町、1966年、16頁
参考文献
編集- 知立市史編纂委員会(編)『知立市史 中巻』知立市教育委員会、1977年。
- 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年。
- 徳田耕一『名鉄の廃線を歩く』JTB、2001年。ISBN 978-4533039232。
- 澤田幸雄「名鉄の駅,構内設備の思い出」『鉄道ピクトリアル』第816巻、電気車研究会、2009年3月。