李相翊
李 相翊(イ・サンイク、朝鮮語: 이상익、1928年12月17日 - 2006年9月22日)は、大韓民国の政治家、外交官、陸軍軍人。第8・10・11・12代韓国国会議員。本貫は慶州李氏[1]。
経歴
編集日本統治時代の忠清南道舒川郡出身。大田高等学校、陸軍士官学校(10期生)、アメリカ陸軍歩兵学校、参謀大学を経て、駐日公使、大韓民国中央情報部次長、民主正義党中央委員会議長、韓日議員連盟幹事長などを務めた。そのほか石油開発公社理事長、アクセスフロア産業(株)会長、学校法人ソンシル学院理事長、大韓体育会理事などを務めた[1][2][3][4]。老衰のため2006年に79歳で死去した[5]。
脚注
編集- ^ a b “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年5月13日閲覧。
- ^ “1981 제11대 국회의원선거 충남 국회의원 이상익 선전벽보 이미지” (朝鮮語). terms.naver.com. 2023年5月13日閲覧。
- ^ “제12대 국회의원선거 충남 부여군서천군보령군 국회의원 이상익 선전벽보” (朝鮮語). terms.naver.com. 2023年5月13日閲覧。
- ^ “제14대 국회의원선거 충남 서천군 국회의원 이상익 선전벽보” (朝鮮語). terms.naver.com. 2023年5月13日閲覧。
- ^ “부고 이상익 前국회의원 별세” (朝鮮語). 동아일보 (2006年9月25日). 2023年5月13日閲覧。