朝比奈泰以
朝比奈 泰以(あさひな やすもち)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。今川氏の家臣。
時代 | 室町時代後期 - 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 永正15年8月3日(1518年9月7日) |
別名 | 弥三郎、十郎 |
墓所 | 静岡県静岡市葵区の長源院 |
官位 | 左京亮(受領名) |
主君 | 今川氏親 |
氏族 | 朝比奈氏 |
父母 | 朝比奈吉俊 |
兄弟 | 泰煕、泰以、氏泰、時茂 |
生涯
編集永正9年(1512年)、兄・朝比奈泰煕が死去し、その子である泰能が家督を継ぐと、泰以は泰能の後見を務めた。
今川氏は遠江国の支配権をかけて同国守護・斯波義達と敵対していた。翌10年(1513年)には、甥の名代として朝比奈軍を率い参戦。井伊直平や曳馬城主・大河内貞綱らの斯波軍との戦いでは、これに勝利した。
永正15年(1518年)8月3日死去[1]。泰以には男子が無く系統は絶えた。
脚注
編集- ^ 『駿国雑志』