普天郡

北朝鮮の郡
普天から転送)

普天郡(ポチョンぐん)は朝鮮民主主義人民共和国両江道に属する郡。

普天郡
位置
各種表記
チョソングル: 보천군
漢字: 普天郡
日本語読み仮名: ふてんぐん
片仮名転写: ポチョン=グン
ローマ字転写 (MR): Poch'ŏn kun
統計
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
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地理

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鴨緑江の支流である佳林川の流域に位置する郡で、鴨緑江が南から西南へと向きを変える位置にある。

北に三池淵市白岩郡、南に雲興郡恵山市、東南に甲山郡と境を接する。

行政区画

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1邑・2労働者区・17里を管轄する。

  • 普天邑(ポチョヌプ)
  • 大鎮坪労働者区(テジンピョンノドンジャグ)
  • 大坪労働者区(テピョンノドンジャグ)
  • 佳山里(カサンニ)
  • 内曲里(ネゴンニ)
  • 大新里(テシンニ)
  • 大興里(テフンニ)
  • 龍徳里(リョンドンニ)
  • 門岩里(ムナムニ)
  • 栢子里(ペクチャリ)
  • 保興里(ポフンニ)
  • 上龍里(サンニョンニ)
  • 宋峯里(ソンボンニ)
  • 新興里(シヌンニ)
  • 雲南里(ウンナムニ)
  • 儀化里(ウィファリ)
  • 青林里(チョンニムニ)
  • 虎山里(ホサンニ)
  • 樺田里(ファジョンニ)
  • 興成里(フンソンニ)

歴史

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植民地期は咸鏡南道甲山郡(そこから分離した恵山郡)の一部であった。普天郡は1952年に恵山郡から分割された行政区画である。

現在、普天邑と呼ばれる中心地区は旧名を普天堡(ポチョンボ、ふてんほ)と言い、金日成が行ったという普天堡の戦い1937年)で知られている。

年表

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この節の出典[1]

  • 1896年 - 咸鏡南道甲山郡に属する。
  • 1937年6月 - 普天堡の戦い。
  • 1942年4月 - 恵山郡の新設に伴い恵山郡に属する。
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、咸鏡南道恵山郡普天面・大鎮面および雲興面の一部地域をもって、普天郡を設置。普天郡に以下の邑・里が成立。(1邑25里)
    • 普天邑・青林里・胞胎里・雲南里・興成里・内曲里・儀化里・樺田里・中興里・新興里・独山里・通南里・緑水里・佳山里・宝泰里・大新里・大坪里・大興里・保興里・上龍里・龍徳里・宋峯里・栢子里・虎山里・門岩里・大鎮坪里
  • 1953年 - 独山里が独山労働者区に昇格。(1邑1労働者区24里)
  • 1954年10月 - 行政区画の見直しにより、両江道普天郡となる。(1邑1労働者区24里)
  • 1958年 (1邑2労働者区23里)
    • 大坪里が大坪労働者区に昇格。
    • 宝泰里が宝西里に改称。
    • 独山労働者区が鯉明水労働者区に改称。
  • 1961年3月 (1邑1労働者区22里)
    • 大鎮坪里の一部が大坪労働者区に編入。
    • 鯉明水労働者区・胞胎里が新設の三池淵郡に編入。
  • 1979年2月 (1邑1労働者区18里)
    • 緑水里・宝西里および中興里・通南里の各一部が三池淵郡に編入。
    • 中興里の残部・通南里の残部が普天邑に編入。
  • 1981年 - 大鎮坪里が大鎮坪労働者区に昇格。(1邑2労働者区17里)

交通

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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