新宿三井ビルディング
新宿三井ビルディング(しんじゅくみついビルディング)は、東京都新宿区西新宿の新宿新都心の一角にある超高層ビル。通称は新宿三井ビル、あるいは単に三井ビルと呼ばれることもある[注 1]。
新宿三井ビルディング | |
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情報 | |
用途 | 事務所、店舗 |
設計者 | 三井不動産、日本設計事務所、武藤構造力学研究所[1] |
施工 | 鹿島建設、三井建設[1] |
建築主 | 三井不動産[2] |
構造形式 | 鉄骨造、一部鉄骨鉄筋コンクリート構造・鉄筋コンクリート造[3] |
敷地面積 | 14,449.38 m² [3] |
建築面積 | 9,590.67 m² [3] |
延床面積 | 179,696.87 m² [3] |
状態 | 完成 |
階数 | 地上55階・地下3階・塔屋3階[3] |
高さ | 223.6m[4] |
エレベーター数 | 36基(東芝製9基、日立製27基)[3] |
駐車台数 | 515台[3] |
着工 | 1972年4月[3] |
竣工 | 1974年10月[3] |
所在地 |
〒163-04xx (xxは階層。xx=90のときは階層不明) 東京都新宿区西新宿二丁目1番1号 |
座標 | 北緯35度41分30.8秒 東経139度41分38.1秒 / 北緯35.691889度 東経139.693917度座標: 北緯35度41分30.8秒 東経139度41分38.1秒 / 北緯35.691889度 東経139.693917度 |
概要
編集1960年(昭和35年)6月に東京都が発表した「新宿副都心建設計画」に基づき、淀橋浄水場跡地は同年に設立された新宿副都心建設公社によって、まず、新宿駅西口地下広場や新宿中央公園が整備され、造成された街区(1~11号)は、65年から順次民間会社に売却されることとなった[2]。
三井不動産は、日本における超高層建築のさきがけとして霞が関ビルを建設した経緯から、新宿副都心開発にも強い意欲を抱き、1968年(昭和43年)3月、9号地を58億円で購入し、新宿駅西口一帯の新都心開発に参画することとなった[2]。この際、江戸英雄三井不動産社長が地元の小田急電鉄の安藤楢六社長からの要望に応えて、街区を購入した住友不動産、京王帝都電鉄(現:京王電鉄)、第一生命保険に連絡調整組織の結成を呼びかけ、11月に新宿新都心開発協議会(SSK)が発足し、三井不動産が幹事役を務めることになった[5][注 2]。SSKは69年5月「新宿新都心開発計画」を作成し、71年4月には各社の協定参加を得た。この協定は都市計画としては画期的なもので、地域冷暖房を採用し大気汚染の防止に努める、人と車にとって双方快適な空間にするため、歩道橋や歩行者デッキ、歩行者道路を設置して相互に連結する等を骨子として盛り込んだ[1]。
新宿三井ビルは、1974年(昭和49年)10月に竣工するが、工事の最中、第一次オイルショックに見舞われた。資材の入手難や諸価格の高騰に直面したが、最終的には目標通り、延坪あたり40万円以下に抑え完成させている[1]。総工費は約237億8000万円(建築期間中の支払利息を含む)[1]。
売却
編集2020年(令和2年)10月9日、三井不動産は新宿三井ビルを不動産投資信託(REIT)の日本ビルファンド投資法人に1700億円で売却すると発表し、翌年1月8日に引き渡した[6]。売却後も三井不動産は運営に関与し、ビルの名称は残す[6]。
構造
編集高さは軒高210メートル、最頂部225メートル。竣工してしばらくは、日本一高いビルの座にあった。隣の新宿センタービルより高さ自体は2メートル高いが (各々225.0m, 222.95m)、新宿センタービルの1階より低い位置に新宿三井ビルの1階があるため、実際は低くなって見える。2階はロビー(Lb)階と表記する。
外観は黒を基調としたガラス張りで、新宿の超高層ビル群の中でもひときわ目立つ外観である。竣工当初、黒かった塔屋は、現在は白となっている。
ビル側面にあるX形の鉄骨は、耐震補強の為の筋交いであると共に、各階の両端に設けた機械室の扉の押さえを兼ねている。機械室の扉は4 - 5階分を1枚にまとめており、巨大なそれを開くことで空調などの機械を容易に交換できるようにした[7]。また京王プラザホテルの設計を取り入れ、非常階段の一部を外部に剥き出しに設置し、火災時の煙が非常階段内に溜まらない設計が採用された。
2015年(平成27年)3月、鹿島と三井不動産が開発にあたった長周期地震動の揺れを半減させる超大型制震装置の屋上への設置が完了している[8][9]。
テナント・スポット
編集新宿高層ビル街に古くから存在し、階数が新宿では最も多く、ビル内には多くの企業がテナントとして入居している。
最上階の55階には、オープンから数年間はワンフロアを占める中華レストラン「マンダリンパレス」が営業していたが(西遊記で制作協力として参加)、現在はテナントの事務所となっている。54階には、三井グループの従業員やOBとその同伴者だけが利用できるレストラン「新宿三井クラブ」がある。
ビルの南にある「55ひろば」は、ビル風の影響を小さくするため、グランドレベルから沈みこませ整備した[3]。青空天井で、テーブルセットは飲食・休憩など自由に使用できる。無料コンサートやフリーマーケットなどのほか、後述の「新宿三井ビルディング会社対抗のど自慢大会」も催される。
オフィス・テナントを除く、店舗等の配置は以下の通りである。
- 地下1階(「55ひろば」と同じ高さ。京王プラザホテル側道路から階段を下りる)
- 1階(京王プラザホテル側道路から階段を上がる)
- 2階(東側道路・北側道路・西側道路からは1階として感じられる)
- 3階
- Shinjyuku KIZENBOU(カフェ&ダイニングバー)
- 4階、5階
- クリニック2院、歯科医院、調剤薬局
- 54階
- 新宿三井クラブ
主な入居テナント
エレベーター
編集1996年(平成8年)から2000年にかけてリニューアルされた。18階以上はすべて日立製に統一している。
- 非常用バンク
- B3階 - B1階・1階・Lb階・3階 - 55階・P1(R)階
- Dバンク(D-1~D-7号機)
- 1階・Lb階・3階・43階 - 55階
- Cバンク(C-1~C-8号機)
- 1階・Lb階・3階・29階 - 43階
- Bバンク(B-1~B-8号機)
- 1階・Lb階・3階・17階 - 30階
- Aバンク(A-1~A-7号機、下記の駐車場用バンクも東芝製)
- 1階・Lb階・3階 - 17階
- 駐車場用バンク
- B3階 - B1階・1階・Lb階
新宿三井ビルディング会社対抗のど自慢大会
編集1975年から入居企業同士の親睦や交流を図るため、毎年8月下旬に55ひろばにおいて、入居企業対抗のど自慢大会を開いている。出演者のパフォーマンスが極めてハイレベルなことから、別名「新宿の奇祭」「会社員のウッドストック」とも呼ばれる。コロナ禍の影響で休止していたが、2023年8月には、4年ぶりに開催された[10]。
参加資格は、新宿三井ビルに入居しているテナント企業に限られるため、こののど自慢大会に出たいがためにビルへ入居した企業もあるといわれる[11][12]。
アクセス方法
編集新宿三井ビルディング外観
編集脚注
編集注
編集出典
編集- ^ a b c d e f 三井不動産七十年史 2012, p. 71.
- ^ a b c 三井不動産七十年史 2012, p. 70.
- ^ a b c d e f g h i j 三井不動産七十年史 2012, p. 72.
- ^ 『新宿三井ビルディング竣工40周年 記念イベントの開催』(プレスリリース)三井不動産、2014年8月22日 。2023年1月14日閲覧。
- ^ 三井不動産七十年史 2012, p. 71 - 72.
- ^ a b “三井不動産、新宿三井ビルをREITに売却 1700億円で”. 日本経済新聞 (2020年10月10日). 2020年10月10日閲覧。
- ^ 池田武邦「聞き書きシリーズ 超高層から茅葺きへ 第54回」2009年7月7日付『西日本新聞』朝刊6面
- ^ “超高層ビル屋上に巨大振り子、長周期地震動の揺れ半減”. 日本経済新聞. (2014年9月16日) 2019年2月11日閲覧。
- ^ “新宿三井ビル、屋上の超大型制震装置を公開”. ケンプラッツ. 日本経済新聞. (2013年8月24日) 2019年2月11日閲覧。
- ^ “新宿の夏の風物詩、社会人が巻き起こす感動 「第46回 新宿三井ビルディング 会社対抗 のど自慢大会」4年ぶりに開催! 入居テナント企業44社、総勢75組213名による熱い3日間”. 三井不動産. (2023年8月28日) 2023年9月1日閲覧。
- ^ “熱いぜ!新宿の夏、三井ビルのど自慢45回”. 日刊スポーツ. (2019年8月17日) 2019年9月8日閲覧。
- ^ “会社員のウッドストック!「新宿三井ビルのど自慢2018」今年の“伝説”を振り返る”. 文春オンライン. (2018年8月28日) 2019年9月8日閲覧。
参考文献
編集- 日本経営史研究所編『三井不動産七十年史』三井不動産、2012年3月。