成瀬正恭

日本の実業家・銀行家

成瀬 正恭(なるせ まさやす、1868年7月10日慶応4年5月21日) - 1938年昭和13年)3月20日)は、日本実業家銀行家学位は、LLMCornell Law School)。

成瀬正恭

経歴

編集

その後副頭取を経て、1915年から1919年頃に頭取を務めた。1927年昭和金融恐慌で十五銀行が事実上倒産した際には、松方巌同様に私財を投出して救済に尽力した[4]

社外職も多くこなしており、丁酉銀行頭取・国際信託会社長神戸貿易銀行支配人・日本郵船取締役国際汽船取締役・水戸鉄道取締役・慶應義塾評議員(第9期 - 第12期)等も兼任した[5][6][7][8]

なお、子爵とする文献があるが[9]、『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館華族家系大成編輯委員会編、社団法人霞会館、1996年、283頁)によれば、華族である成瀬家は本家の犬山藩主家のみであり、子爵とするのは誤り。

親族

編集

 

逸話

編集
  • 成瀬正恭の別荘が逗子に現存して残っている。その古い門は鹿鳴館から移築されたものであり、黒門と呼ばれている[14]
  • 趣味はビリヤードと囲碁。ビリヤードは相当の腕前であり、興じていた交詢社で右に出るものはいなかった[15]

著書

編集
  • 『The Principles of the Law of Negligence』
  • 『A Comparative Study of the Bill of Rights in the Constitution of Japan and America』
  • 『本年の金融と其処置』
  • 『海外為替要論』(ゴスシェン著/成瀬正恭訳述)

参考文献

編集
  1. ^ a b c d e f 三田商業研究会編『慶應義塾出身名流列傳』実業之世界社、1909年、453-454頁。
  2. ^ 『The Principles of the Law of Negligence』, LLB Thesis、Cornell Law School、1889年
  3. ^ 『A Comparative Study of the Bill of Rights in the Constitution of Japan and America』, LLM Thesis、Cornell Law School、1890年
  4. ^ 十五和議を申立つ大阪毎日新聞 1928.2.2 (昭和3)
  5. ^ 『慶應義塾百年史』, (慶應義塾、1958年)
  6. ^ 三島康雄薩州財閥の成立と崩壊」『経営史学』第15巻第1号、経営史学会、1980年、1-27,i、doi:10.5029/bhsj.15.1ISSN 03869113 
  7. ^ 『財界之人百人論』, 矢野滄浪, 時事新報社, 1914年
  8. ^ 『慶應義塾歴代役職者一覧』, 慶應義塾塾史編纂所, p48-51、1965年
  9. ^ 小川功「明治期銀行融資のデフォルトと自己競落・証券化による不良債権回収 : 十五銀行の太田鉄道融資と水戸鉄道新設を中心に(片山貞雄教授退官記念論文集)」『彦根論叢』第299巻、滋賀大学経済学会、1996年1月、121-136頁、hdl:10441/5234ISSN 0387-5989CRID 1050001202755554688 
  10. ^ 成瀬正行(なるせまさゆき) 谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー
  11. ^ 大正ロマン全開:コンドル設計の「成瀬正行」邸Youtube, 2018/11/03
  12. ^ 都心最大級の大型億ション「ザ・ハウス南麻布」について野村不動産株式会社・ニチメン株式会社、2003年2月13日
  13. ^ 康次郎邸跡の迎賓館売却/セゾングループ、60億円で四国新聞社、2001/04/20
  14. ^ 逗子市広報 No.874, 2015年4月
  15. ^ 『財界の名士とはこんなもの? 第1巻』, 湯本城川, 事業と人物社、1924年