平山岩彦
平山 岩彦(ひらやま いわひこ、1867年9月22日(慶応3年8月25日[1])- 1942年(昭和17年)5月11日[2][3][4])は、明治から昭和前期の政治家、実業家。衆議院議員。
平山岩彦 ひらやま いわひこ | |
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生年月日 | 1867年9月22日 |
出生地 |
日本 肥後国飽田郡 (現熊本県熊本市中央区黒髪) |
没年月日 | 1942年5月11日(74歳没) |
前職 |
済々黌舎監 (現熊本県立済々黌高等学校) |
所属政党 |
(立憲同志会→) (憲政会→) 立憲民政党 |
選挙区 |
(熊本県郡部選挙区→) 熊本県第1選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 |
1914年6月 - 1914年12月25日 1917年4月 - 1920年2月26日 1928年2月 - 1932年1月21日 |
経歴
編集肥後国飽田郡、のちの熊本県[2]飽田郡黒髪村(託麻郡黒髪村、熊本市[5] 黒髪[3] を経て現:熊本市中央区黒髪)で、熊本藩家老米田家家臣[4]・平山直衛の息子として生まれる[3]。済々黌(現熊本県立済々黌高等学校)舎監となる[3][4]。
佐々友房の指示で李氏朝鮮に渡り、安達謙蔵の漢城新報創刊を援助した[3][4]。乙未事変に連座して広島監獄(現広島刑務所)に収監されたが三ヶ月で釈放された[3][4]。
帰郷して政党活動を始め[3][4]、熊本県会議員、同参事会員を務めた[2][5]。守山又三の辞職に伴い1914年(大正3年)6月に実施された第11回衆議院議員総選挙熊本県郡部補欠選挙で当選し[6][7]、以後、第17回総選挙まで再選され、衆議院議員に通算4期在任した[2]。
その他、肥後農工銀行監査役、菊池軌道取締役、熊本電気取締役などに在任[2][5]。また、1932年(昭和7年)振武館を設立して青少年の育成に尽力した[3]。
国政選挙歴
編集- 第11回衆議院議員総選挙補欠選挙(熊本県郡部、1914年6月、立憲同志会)当選[6]
- 第12回衆議院議員総選挙(熊本県郡部、1915年3月、立憲同志会)落選[8]
- 第13回衆議院議員総選挙(熊本県郡部、1917年4月、憲政会)当選[9]
- 第14回衆議院議員総選挙(熊本県第2区、1920年5月、憲政会公認)次点落選[10]
- 第16回衆議院議員総選挙(熊本県第1区、1928年2月、立憲民政党公認)当選[11]
- 第17回衆議院議員総選挙(熊本県第1区、1930年2月、立憲民政党公認)当選[12]
脚注
編集- ^ 衆議院『第三十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1917年、28頁。
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆院議員名鑑』540頁。
- ^ a b c d e f g h 『熊本県大百科事典』700頁。
- ^ a b c d e f 『言葉のゆりかご』426頁。
- ^ a b c 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』381頁。
- ^ a b 『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』248頁。
- ^ 『官報』第566号、大正3年6月20日。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』77頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』99頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』28頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第16回』518頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第17回』569頁。
参考文献
編集- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 衆議院事務局『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』1936年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 熊本日日新聞社・熊本県大百科事典編集委員会編『熊本県大百科事典』熊本日日新聞社、1982年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 井上智重『言葉のゆりかご - 熊本ゆかりの人物語録』熊本日日新聞社、2015年。