川真田市太郎
川真田 市太郎(かわまた いちたろう、1842年(天保13年2月[1]) - 1919年(大正8年)5月30日[1])は、日本の政治家、実業家。徳島県吉野川市出身。別名は市兵衛。
経歴
編集麻植郡鴨島町(現在の吉野川市)で生まれる。実家は藍商を営む。藍の粗悪を戒め、製品の声価を高めることに努めた。また、吉野川の氾濫を防ぐため、堤防を修築する等の功績を上げた[2]。
1887年(明治20年)、阿波国共同汽船を起し、同社の社長に就任。1898年(明治31年)、第5回衆議院議員総選挙に出馬し当選。徳島鉄道の敷設、吉野川改修工事に功労があった[2]。
1919年(大正8年)5月30日、78歳で没する[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 『阿波人物志』原田印刷出版、1973年。
- 『徳島市史』徳島市、1973年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。