川口誠三郎
川口 誠三郎(かわぐち せいさぶろう、1876年(明治9年)11月28日[1] - 1921年(大正10年)9月24日[2][3][4])は、明治から大正期の政治家、実業家。衆議院議員。
経歴
編集福島県[3]安積郡、のちの郡山町[2](現:郡山市)の製糸業・川口半右衛門の二男として生まれる[2][5]。質屋を営む[3]。平郡線(磐越東線)の敷設、水郡線の開通に尽力した[2]。
郡山町会議員、安積郡会議員、福島県会議員を務めた[2][3]。1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙(福島県第4区、立憲政友会公認)で郡山初の衆議院議員に当選したが[2][3][6]、議員在任中の1921年9月に死去した[7]。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
- 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。