崎山好春
崎山 好春(さきやま よしはる、1897年(明治30年)9月19日[1] - 1974年(昭和49年)6月10日[2])は日本の実業家。大同海運社長、大日海運会長を務めた。
略歴
編集愛媛県温泉郡河野村(現在の松山市)に生まれた。父・崎山常五郎の二男[4]。1917年(大正6年)、松山商業学校(現在の松山商業高校)を卒業[1]。山下汽船に入社[1]。1923年(大正12年)、家督を相続する[4]。
1930年(昭和5年)、大同海運に転じ、近海配船課長営業部副長を歴任[5]。1939年(昭和14年)、取締役のち常務専務を経て1949年(昭和24年)、社長に就任した[5]。戦後、大日海運会長[2]。1974年死去[2]。
人物像
編集宗教は臨済宗[5]。趣味は愛刀、弓道、長唄、囲碁。住所は兵庫県神戸市須磨区大手町8丁目[1][4]、垂水区西垂水[5]。
家族・親族
編集- 崎山家
脚注・出典
編集- ^ a b c d e 『愛媛県紳士録』神戸市之部107頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月5日閲覧。
- ^ a b c 『朝日新聞』1974年6月11日東京朝刊19頁
- ^ 潔の死別した最初の妻との間にできた子小河氏との対談で佐野眞一は「崎山さんはその後大同海運の社長になる実力者ですね。その崎山さんが縁戚の女性を潔に娶(めと)らせたということは、潔さんを高く評価していたからでしょうね…」と述べている(『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』49頁)
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版上』サ120頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年9月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『大衆人事録 第二十三版 西日本編』さ389頁
参考文献
編集- 愛媛新報株式会社編『愛媛県紳士録』愛媛新報、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版上』人事興信所、1943年。
- 『第十六版 人事興信録 上』 1951年 さ56。
- 広瀬弘『大衆人事録 第二十三版 西日本編』帝国秘密探偵社、1963年。
- 佐野眞一『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』 講談社 2003年。