尚忠王
琉球第1尚氏王統第3代国王
尚 忠王(しょう ちゅうおう、1391年(洪武24年) - 1444年12月3日(正統9年10月24日))は、琉球王国の第一尚氏王統・第3代国王(在位:1440年 - 1444年)。第2代琉球国王。
尚忠王 | |
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琉球国王 | |
在位 | 1440年 - 1444年 |
全名 | 尚忠 |
居城 | 首里城 |
出生 |
1391年 |
死去 |
1444年12月3日(享年54歳) |
埋葬 |
1444年 天山陵(後に読谷の尚巴志王三代の墓改葬) |
王世子 | 尚思達王 |
子女 | 尚思達王 |
家名 | 第一尚氏 |
王朝 | 第一尚氏王統 |
父親 | 尚巴志王 |
母親 |
眞鍋金 (伊覇按司一世の長女) |
尚巴志王の次男。尚巴志王が北山侵攻で今帰仁城の攀安知(はんあんち)を滅ぼして北山王の領土を併合すると、初代北山監守となった。1439年に尚巴志王の死去により即位した。尚忠王は使者を派遣し馬、貢物を入貢した。またジャワにも使者を派遣し、胡椒・蘇木を買わしめたり、南方貿易にも力を入れた。在位わずか5年、54歳のとき崩じた。