小川金之助
小川 金之助(おがわ きんのすけ、1884年〈明治17年〉5月18日[1] - 1962年〈昭和37年〉3月30日[1])は日本の剣道家。段位称号は範士十段。
おがわ きんのすけ 小川 金之助 | |
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生誕 | 愛知県丹羽郡岩倉村(現・岩倉市) |
国籍 | 日本 |
流派 | 北辰一刀流 |
身長 | 182 cm (6 ft 0 in) |
体重 | 90 kg (198 lb) |
肩書き | 剣道範士十段 |
受賞 |
紫綬褒章 全日本剣道連盟剣道殿堂顕彰 |
経歴
編集愛知県丹羽郡岩倉村(現・岩倉市)に生まれる。名古屋へ出て北辰一刀流 加藤貫一(加藤七左衛門の養父)に入門。
愛知県警察部に勧誘されたが、小川は警察官になる気はなく、一旦断った。「制服は着なくてもよい、試験だけは形式的に受けろ」と説得され、1903年(明治36年)、愛知県警察部に奉職。京都の大日本武徳会出張修行を命じられ、3年半修行した。
愛知県巡査教習所剣道教師を経て、1914年(大正3年)に内藤高治の要請で武道専門学校助手に就任。
1929年(昭和4年)、内藤高治の死去にともない、武道専門学校教授に就任(1944年(昭和19年)まで務める)。
1934年(昭和9年)、皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会特選試合に出場し、持田盛二との試合を披露。
1940年(昭和15年)、紀元二千六百年奉祝天覧武道大会特選試合に出場し、斎村五郎との試合を披露。