太平府(たいへいふ)は、中国にかつて存在した末から民国初年にかけて、現在の安徽省馬鞍山市蕪湖市にまたがる地域に設置された。

安徽省の太平府の位置(1820年)

概要

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937年昇元元年)、南唐により江寧府当塗県に建平軍が置かれた。957年保大15年)、建平軍は雄遠軍と改称された。

977年太平興国2年)、北宋により雄遠軍は太平州と改められた。太平州は江南東路に属し、当塗・蕪湖繁昌の3県を管轄した[1]

1277年至元14年)、元により太平州は太平路に昇格した。太平路は江浙等処行中書省に属し、録事司と当塗・蕪湖・繁昌の3県を管轄した[2]1355年朱元璋により太平路は太平府と改められた。

のとき、太平府は南直隷に属し、当塗・蕪湖・繁昌の3県を管轄した[3]

のとき、太平府は安徽省に属し、当塗・蕪湖・繁昌の3県を管轄した[4]

1913年中華民国により太平府は廃止された。

脚注

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  1. ^ 宋史』地理志四
  2. ^ 元史』地理志五
  3. ^ 明史』地理志一
  4. ^ 清史稿』地理志六