大西城(だいさいじょう)は、島根県雲南市加茂町にあった日本の城

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大西城
島根県
大西城遠景
大西城遠景
別名 高麻城、高佐城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 鞍掛久光
築城年 天文年間
主な改修者 大西氏毛利氏
主な城主 鞍掛久光大西氏毛利氏
廃城年 元亀2年(1571年)か
遺構 土塁、空堀
指定文化財 未指定
位置 北緯35度20分47.98秒 東経132度55分30.84秒 / 北緯35.3466611度 東経132.9252333度 / 35.3466611; 132.9252333
地図
大西城の位置(島根県内)
大西城
大西城
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概要

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大西城は比高130mの独立性の高い丘陵上に築かれた山城で、尼子氏時代には大西氏(だいさいし)が拠り、尼子十旗の一つに数えられた。

構造

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大西城は、独立性の高い高麻山山頂に占地し、背後北西方向に繋がる尾根筋は二重堀で遮断している。普請は山頂の主郭を中心に全山に渡り、東方に御殿平、北方に御倉平の地名が残り、それぞれ居館および倉の跡と考えられている。

各郭はおおむね土塁を用いない尼子氏流の特徴を示すが、尾根筋の城道や枡形の存在は毛利氏の改修を示唆している。

沿革

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  • 天文年間、鞍掛久光によって築かれた。
  • 尼子氏時代、同氏の重臣大西氏の居城となった。
  • 天文12年、大内氏の出雲侵攻に際し、大西高由は尼子氏に従い富田城の防備に着き、宮尾において大内勢を破った。
  • 永禄8年(1565年)、毛利氏の出雲侵攻に際しても、大西高由は尼子氏に従い、富田城塩谷口の守備に当たり、吉川勢の攻撃を凌いだ。
  • 永禄9年(1566年)、富田城は開城し、尼子義久は安芸に幽閉されたが、大西高由もこれに従った。
  • 大西城のその後については不明だが、枡形等が設けられていることから、永禄12年から元亀2年に掛けての尼子氏残党との戦いの際に、毛利氏により改修されたものと考えられている。

関連項目

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