大住三行
奈良時代の官僚
大住 三行(おおすみ の みゆき、生没年不詳)は、奈良時代の人物。姓は忌寸。官位は外従五位上・隼人正。氏は大隅とも表記される[1]。
出自
編集大隅(大住)氏は大隅国大隅郡の豪族で、姓は直で、天武天皇の八色の姓で、畿内に移住した一派が忌寸を賜っている。『新撰姓氏録』「大和国神別」では、「大角隼人」は火闌降命の子孫であると記されている。畿内の大住一族の中心地になったのが、山城国綴喜郡大住郷(現在の京田辺市)の地であったと言われている。某年の『山背国隼人計帳』には、「大住忌寸足人」・「大住忌寸山守」の名前が見られる[2][3]。
経歴
編集称徳朝の神護景雲3年(767年)11月に、大隅国・薩摩国の隼人が天皇の御前で俗伎(くにぶりのわざ)を披露し、その日のうちに褒賞としてほかの隼人とともに上正六位上[4]より外従五位下に昇叙されている。
それからしばらくたった光仁朝の宝亀6年(775年)4月に檜前舎人建麻呂の後任の隼人正に任じられている。翌7年(776年)、今度は光仁天皇の御前で、俗伎を披露し[5]、外従五位上に昇叙されている。
官歴
編集『続日本紀』による。