大井玄慶
室町時代から戦国時代の武将
大井 玄慶(おおい はるよし/はるのり)は、室町時代から戦国時代の武将。信濃佐久郡にある11代目の大井城主。
時代 | 室町時代 - 戦国時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 大井政信?[1] |
幕府 | 室町幕府 |
氏族 | 清和源氏小笠原氏流大井氏 |
父母 | 大井政則(安房丸)?[1] |
子 | 養子:大井康光 |
概要
編集文明16年(1484年)2月、岩村田大井城は村上政清に攻められて落城、城主安房丸(大井政則?)は小諸に逃れ(『大田山実録(龍雲寺文書)』など)、岩村田大井宗家は滅亡した。安房丸は小諸城に在城し、その跡を子とされる玄慶が継いだ。
明応2年(1493年)、大井城主として龍雲寺を再興し(『大田山実録』)、大井城と城下町の復興に力を尽くした。跡を継いだのは長窪大井氏出身の大井忠孝(康光?)で、その跡を子の貞隆が継いだ。