堀田正誠
日本の江戸時代後期の大名。旗本本多助信次男で、近江宮川藩8代藩主
堀田 正誠(ほった まさみ、文政7年(1824年) - 文久3年5月12日(1863年6月27日))は、近江宮川藩の第8代藩主。堀田家宗家10代。
4260石を領した大身旗本・本多助信の次男。母は堀田正穀の娘。正室は中津藩主・奥平昌高の娘。継室は福江藩主・五島盛成の娘。子に岩城隆彰(三男)、娘(堀田正養正室)。官位は従五位下、豊前守、加賀守。
天保12年(1841年)9月25日、養父正義の死去により家督を継ぐ。正誠は第5代藩主・正穀の外孫であった。同年10月15日、将軍・徳川家慶に拝謁する。天保13年(1842年)10月29日、従五位下・豊前守に叙任する。弘化4年(1847年)2月9日、大坂加番を命じられる。嘉永6年(1853年)7月20日、大番頭に就任する。嘉永7年(1854年)1月15日、奏者番に就任する。文久2年(1862年)10月10日、再び大番頭に就任する。文久3年5月12日、40歳で死去し、跡を婿養子の正養が継いだ。
系譜
編集父母
正室、継室
子女
養子