国鉄ホキ5100形貨車(こくてつホキ5100がたかしゃ)は、1960年(昭和35年)から製作された、燐酸ソーダ専用の 30 t私有貨車ホッパ車)である。

国鉄ホキ5100形貨車
基本情報
車種 ホッパ車
運用者 日本国有鉄道
所有者 日本化学工業東北肥料電気化学工業、燐化学工業、住友化学工業日本石油輸送
製造所 東洋工機
製造年 1960年(昭和35年)
製造数 9両
消滅 1981年(昭和56年)
常備駅 青海駅郡山駅
主要諸元
車体色
専用種別 燐酸ソーダ
軌間 1,067 mm
全長 14,300 mm
全幅 2,706 mm
全高 3,827 mm
ホッパ材質 普通鋼一般構造用圧延鋼材
荷重 30 t
実容積 60.0 m3
自重 20.5 t
換算両数 積車 5.0
換算両数 空車 2.0
台車 TR41C
車輪径 860 mm
軸距 1,650 mm
台車中心間距離 10,200 mm
最高速度 75 km/h
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本形式と同一メーカーにて同時期に製造されたホキ5000形及び本形式より改造され別形式となったホキ5800形についても本項目で解説する。

ホキ5100形

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ホキ5100形は燐酸ソーダ輸送用として1960年(昭和35年)6月13日から1962年(昭和37年)3月14日にかけて東洋工機にて9両(ホキ5100 - ホキ5108)が製作された。

記号番号表記は特殊標記符号「オ」(全長12mをこえるホッパ車)を前置し「ホキ」と標記する。

落成当事の所有者は、日本化学工業東北肥料の2社であった。

1966年(昭和41年)9月22日に、日本化学工業所有車4両(ホキ5100 - ホキ5103)が電気化学工業へ名義変更された。

残り4両(ホキ5104 - ホキ5107)は複雑な変遷を辿った。ホキ5107は1967年(昭和42年)9月23日に燐化学工業、さらに1970年(昭和45年)4月11日に住友化学工業に名義変更が行われた。一方、ホキ5104 - ホキ5106の3両は1968年(昭和43年)9月20日に住友化学工業に名義変更された。最終的にはこれら4両の名義は1973年(昭和48年)11月6日に日本石油輸送に移された。

東北肥料所有のホキ5108は、生涯変更されることなく羽後牛島駅を常備駅として運用されたが、1971年(昭和46年)5月25日に廃車となった。在籍期間は9年間という短い期間であった。

外観は、真横からみると長方形であり、国鉄のホッパ車の中では3番目に大きなサイズである。(最大はホキ5500形、次点はホキ6900形)エアスライド式有蓋ホッパ車であり、荷役方式はホッパ上部の積込口より上入れ、エアスライドの垂直シュートによる下出しであった。

全長は14,300mm、全幅は2,706mm、全高は3,827mm、台車中心間距離は10,200mm、実容積は20.5m3、自重は20.5tで、換算両数は積車5.0、空車2.0、台車は12t車軸を使用したベッテンドルフ台車のTR41Cであった。

1981年(昭和56年)7月17日に最後まで在籍した4両(ホキ5104 - ホキ5107)が廃車になり形式消滅した。

年度別製造数

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各年度による製造会社と両数、所有者は次のとおりである。(所有者は落成時の社名)

  • 昭和35年度 - 4両
    • 東洋工機 4両 日本化学工業 (ホキ5100 - ホキ5103)
  • 昭和36年度 - 5両
    • 東洋工機 4両 日本化学工業 (ホキ5104 - ホキ5107)
    • 東洋工機 1両 東北肥料 (ホキ5108)

ホキ5000形

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国鉄ホキ5000形貨車
基本情報
車種 ホッパ車
運用者 日本国有鉄道
所有者 燐化学工業→住友化学工業→日本石油輸送
製造所 東洋工機
製造年 1960年(昭和35年)
製造数 2両
消滅 1981年(昭和56年)
常備駅 稲荷町新居浜駅郡山駅
主要諸元
車体色
専用種別 燐酸ソーダ
軌間  mm
全長 11,300 mm
全幅 2,706 mm
全高 3,827 mm
ホッパ材質 普通鋼(一般構造用圧延鋼材)
荷重 30 t
実容積 40.0 m3
自重 17.2 t
換算両数 積車 5.0
換算両数 空車 1.8
台車 TR41C
車輪径 860 mm
軸距 1,650 mm
台車中心間距離 7,200 mm
最高速度 75 km/h
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ホキ5000形は、1960年(昭和35年)6月1日に東洋工機にて2両(ホキ5000, ホキ5001)が製造された。ホキ5100形と同一メーカー、同一専用種別、同時期の製造であった。

落成当時の所有者は、燐化学工業であり、富山地方鉄道稲荷町駅を常備駅とした。

1970年(昭和45年)4月11日に、住友化学工業へ名義変更され、常備駅は新居浜駅とした。

1966年(昭和48年)11月6日に、日本石油輸送へ名義変更され、常備駅は東高島駅とした。

ホキ5100形とは所有者(落成時)が異なるため、別形式にしたものと思われるが、前述の様に所有者が同一となってしまいホキ5100形と共通運用された。

外観は、真横からみると台形であり、ホキ5000形がデッキなしであったのに対して当形式は、ホッパ車では一般的なデッキ付きであった。エアスライド式有蓋ホッパ車であり、荷役方式はホッパ上部の積込口より上入れ、エアスライドの垂直シュートによる下出しであった。

全長は11,300mm、全幅は2,706mm、全高は3,827mm、台車中心間距離は7,200mm、実容積は40.0m3、自重は17.2tで、換算両数は積車5.0、空車1.8、台車は12t車軸を使用したベッテンドルフ台車のTR41Cであった。

1981年(昭和56年)7月17日に全車(2両)が廃車になり形式消滅した。これもホキ5100形と同一日であった。

ホキ5800形

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1966年(昭和41年)10月27日に1両、同年11月9日に3両の合計4両(ホキ5100 - ホキ5103)の電気化学工業所有車が東洋工機にて改造され、新形式であるホキ5800形ホキ5800 - ホキ5803)が誕生した。

記号番号表記は特殊標記符号「オ」(全長12mをこえるホッパ車)を前置し「ホキ」と標記する。

改造要点は、専用種別をリン酸ソーダから塩化ビニールに変更したことにあり、主な改造内容は、ホッパ内面全体を半硬質塩化ビニルで被覆、被覆不可能箇所のステンレス鋼による作り変え、積込口の変更(角型より円型にした)等である。

所有者は、電気化学工業から生涯変更されることはなく、青海駅を常備駅として運用した。

種車であるホキ5100形より長寿であったが、1985年(昭和60年)12月26日に全車4両(ホキ5800 - ホキ5803)が一斉に廃車になり形式消滅した。

参考文献

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  • 鉄道公報
  • 吉岡心平『プロフェッサー吉岡の私有貨車図鑑』(ネコ・パブリッシング、1997年)ISBN 978-4-7770-0583-3
  • 『日本の貨車-技術発達史-』(貨車技術発達史編纂委員会編著、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊、2008年)
  • 吉岡心平『RM LIBRARY 141 有蓋ホッパ車のすべて(下)』(ネコ・パブリッシング、2011年)ISBN 978-4-7770-5307-0

関連項目

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