国司 就直(くにし なりなお)は、江戸時代武士毛利氏の家臣で長州藩士。国司元貞の子。知行は200石。

 
国司就直
時代 江戸時代
生誕 元和7年(1621年
死没 延宝6年3月2日1678年4月22日
改名 虎之助(幼名)→国司就直
別名 通称:勝之助、庄之介、又兵衛
主君 毛利秀就綱広
長州藩
氏族 高階姓高氏庶流国司氏
父母 父:国司元貞
兄弟 おまつ花房孫作の妻)、就直
女(国司就久の妻)
養子:就久桂就正の子)
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生涯

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元和7年(1621年)、長州藩士である国司元貞の子として生まれる。長らく男子がいなかった元貞は、前年の元和6年(1620年)に花房彦左衛門の子である花房孫作を娘のおまつと婚姻させて婿養子としていたが、実子の就直が生まれたため、孫作は花房家へと戻された。

寛永9年(1632年5月5日毛利秀就の加冠を受け元服。寛永14年(1637年3月13日、父・元貞から200石の知行地を譲られ、寛永16年(1639年)に元貞は死去した。

以後、就直は毛利秀就と綱広の二代に仕え、延宝6年(1678年3月2日に死去。享年58。就直には男子がいなかったため、桂元忠の長男・桂就正の嫡男であった就久が婿養子として就直の後を継いだ。

参考文献

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