和田義重
鎌倉時代の御家人
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和田 義重(わだ よししげ)は、鎌倉時代の御家人。和田義盛の息子。通称五郎兵衛。
時代 | 鎌倉時代初期 |
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生誕 | 治承2年(1178年)または治承4年(1180年) |
死没 | 建暦3年5月3日(1213年5月24日) |
別名 | 五郎兵衛 |
氏族 | 和田氏 |
父母 | 父:義盛 |
兄弟 | 常盛、義氏、朝比奈義秀、義直、義重、義信、秀盛、杉浦義国 |
経歴・人物
編集建暦3年(1213年)、兄の義直と従兄弟の胤長と共に泉親衡の乱の企てに加担する。同年2月、企てが発覚すると、伊東祐長のもとで禁固に処されるが、父義盛の嘆願により北条義時の同意の上、兄の義直と共に赦免される。この際、胤長は赦されず、陸奥国岩瀬郡へ配流となった。この幕府の裁断に不満を持った義盛は一族を集め挙兵(和田合戦)。義重は5月3日に自害する[1]。享年36または34[2]。
関連作品
編集- テレビドラマ
脚注
編集参考文献
編集- 『続群書類従 6上(系図部)』(続群書類従完成会、1957年、23p)
- 『日本史蹟大系6巻』(平凡社 、1922年、2451p)