幸地 朝常(こうち ちょうじょう、道光23年/天保13年9月28日(1843年11月19日) - 光緒17年/明治24年(1891年)5月24日)は、琉球王国末期の官僚・政治家、尚育王の娘婿。向氏幸地殿内14世。唐名は向 徳宏(しょう とくこう)、位階親方である。

幸地朝常

1875年明治8年)、明治政府の琉球処分に抗議するため、池城安規与那原良傑ととも東京にへ出向いた。1876年(明治9年)に「琉球救国、日本出兵」を清国に訴えるため、林世功(名城春傍)、蔡大鼎らと清国に密航(脱清人)。福州柔遠駅を根処に清国各地を転々とし、87年清国に「嘆願書」を出す。しかし果せず、帰郷を拒否、清国で客死した。

家族

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  • 長男 向承徳・幸地朝瑞
  • 長女 真鶴金
  • 次男 向承沢・幸地朝禎
  • 次女 真嘉戸樽
  • 三男 松金(ハワイマウイ島に亡命)

関連項目

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