吉川 悦次(よしかわ えつじ、1918年大正7年)6月5日[1] - 1993年7月21日[2])は、日本政治家大阪府大阪狭山市長(8期)。

経歴

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大阪府南河内郡狭山村(のち狭山町、現・大阪狭山市)出身[3]1935年昭和10年)狭山高等小学校卒業[3]1951年(昭和26年)狭山村役場に入り[3]、土木建設、厚生衛生、水道の各課長などを経て[3]1962年(昭和37年)9月、狭山町長に当選する[3]

町長在任中に役場新庁舎、町立公民館・図書館・総合体育館などが完成し、町の人口は増えて、6期目の1985年(昭和60年)には5万人を突破した。7期目の1987年(昭和62年)に狭山町は市制施行し、「大阪狭山市」となり、初代市長に就任した。

1990年(平成2年)には町長時代から数えて8回目の当選[4]。8期目途中の1992年(平成4年)に健康上の理由から市長を退任した[3]。翌年、呼吸不全により死去。

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』282頁。
  2. ^ 読売新聞1993年7月21日 大阪夕刊13面「吉川悦次氏(前大阪府大阪狭山市長)死去」
  3. ^ a b c d e f 『新訂 現代政治家人名事典』578頁。
  4. ^ 『地方選挙総覧 <知事・市長・特別区長> 平成篇 1989-2019』309頁。

参考文献

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  • 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
  • 『地方選挙総覧 <知事・市長・特別区長> 平成篇 1989-2019』日外アソシエーツ、2019年。
  • 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。