叱り
概要
編集軽犯罪などに対して、役所に呼び出されて奉行・代官より直接叱責を受け、同行した差添人とともに請書を提出した後に放免された[2]。
刑罰としては最も軽く、厳密には一般的な叱りと、より重い刑とされた急度叱り(きつとしかり)の2種類があり[2][1]、過料などが併科される場合もあった。
元江戸町奉行・山口直毅(泉処)は、当時(江戸時代)の人々は役所のような公的な場で叱責されることそのものに羞恥心を感じており、叱りを受けると「畏れいりました」と返すのは実際に面目を失ったと考える人が多かったからであると、1891年5月に史学会が実施した「旧事諮問会」で証言している[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 滝川, 政次郎『日本行刑史』(3版)青蛙房、1972年11月20日。doi:10.11501/12013162。(要登録)
- 石井, 良助『江戸の刑罰』(2版)中央公論社〈中公新書〉、1974年3月15日。
- 福留真紀「叱り」(『歴史学事典 9 法と秩序』(弘文堂、2002年) ISBN 978-4-335-21039-6)