台東区立田中小学校
東京都台東区にあった小学校
台東区立田中小学校(たいとうくりつ たなかしょうがっこう)は、かつて東京都台東区日本堤2丁目にあった区立小学校[1]。
台東区立田中小学校 | |
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北緯36度12分08秒 東経140度20分14秒 / 北緯36.202194度 東経140.337278度座標: 北緯36度12分08秒 東経140度20分14秒 / 北緯36.202194度 東経140.337278度 | |
過去の名称 | 田中尋常小学校 → 田中国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 台東区 |
設立年月日 | 1929年4月 |
閉校年月日 | 2001年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒111-0021 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
2001年(平成13年)3月31日をもって閉校、翌4月1日付で台東区立待乳山小学校(まつちやましょうがっこう)と統合し、台東区立東浅草小学校となった。
概要
編集少子化により発生した空き教室を間借りする形で、1998年(平成10年)12月に「台東区社会福祉事業団たなかデイホーム」が開所。閉校後も引き続き「たなかデイホーム」が旧校舎を使用している。
閉校後は、旧校舎は区の公共施設「たなか多目的センター」となった[1]。2001年には「日本堤子ども家庭支援センター」を開設。2015年4月には、舞台芸術活動支援施設「たなか舞台芸術スタジオ[2]」を開設し、区の複合施設として活用されている。
また旧校舎は、テレビドラマなどのロケーション撮影にも使われている(後述)。
たなか多目的センター
編集「たなか多目的センター」に設置された施設は以下のとおり[1]。
戦後の都営住宅への転用
編集第二次世界大戦時には東京大空襲の被害から逃れたため、1946年(昭和21年)5月からしばらくの間、校舎の一部を都営住宅として転用していた時期があった[5]。
沿革
編集- 1929年(昭和4年)4月 - 旧浅草区田中町94に田中尋常小学校設立。
- 1930年(昭和5年)5月 - 帝都復興院帝都復興事業の一環による復興小学校竣工。
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令により、田中国民学校へ改称。
- 1946年(昭和21年)5月 - 東京大空襲被災者のため、校舎を都営住宅(仮設住宅)へ一時転用[5]。
- 1947年(昭和22年)11月 - 学制改革により、台東区立田中小学校へ改称。
- 1980年 - 新校舎が竣工(閉校後も現存)。
- 1998年(平成10年)12月 - 空き教室を間借りする形で、台東区社会福祉事業団たなかデイホームが開所。
- 2001年(平成13年)
- 3月31日 - 閉校。
- 4月1日 - 台東区立待乳山小学校と統合し、台東区立東浅草小学校となる。
交通
編集田中小学校が登場する作品
編集閉校後の旧校舎がロケーション撮影に使用された。
脚注
編集- ^ a b c d “旧田中小学校の活用について”. 台東区. 2024年10月1日閲覧。
- ^ a b たなか舞台芸術スタジオ 台東区文化産業観光部文化振興課、2024年10月1日閲覧。
- ^ 日本堤子ども家庭支援センター「にこにこひろば」 台東区、2024年10月1日閲覧。
- ^ たなかスポーツプラザ 台東区、2024年10月1日閲覧。
- ^ a b “子供たちを翻弄した戦争 上野駅地下道にあふれた孤児”. 産経新聞 (2023年8月15日). 2023年9月8日閲覧。
関連項目
編集- 台東区立東浅草小学校 - 統合後の小学校
- 待乳山
- 東京都小学校の廃校一覧
外部リンク
編集- 旧田中小学校の活用について - 台東区