及川 平治(おいかわ へいじ、1875年明治8年)3月28日[1] - 1939年昭和14年)1月1日[1])は、日本教育者

及川平治
及川平治

経歴

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宮城県出身。1897年(明治30年)、宮城県尋常師範学校を卒業[2]。小学校教員を務める傍ら、文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験に合格した[2]1907年(明治40年)、兵庫県明石女子師範学校教諭・附属小学校主事となり、分団式動的教育論を提唱した[2]。1921年の「八大教育主張講演会」でも、「動的教育論」を論じている。1936年(昭和11年)に退官し、仙台市教育研究所長に就任した[1]

著書

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  • 『新教育学』(育成会、1903年) - 熱海安吉と共著
  • 『如何に歴史を教ふ可き乎』(育成会、1906年)
  • 『如何に国語を教ふ可き乎』(育成会、1906年)
  • 『分団式動的教育法』(弘学館書店、1912年)
  • 『分団式各科動的教育法』(弘学館書店、1915年)
  • 『分団式動的教育法講義要項』(滋賀県蒲生郡教育会、1917年)
  • 『動的教育学要領』(国民教育会、1920年)
  • 『動的教育論』(内外出版、1923年)
  • 『算術中心生活単位の教科案』(厚生閣、1937年)

脚注

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  1. ^ a b c 及川平治著作集パンフレット” (PDF). 学術出版会. 2016年12月25日閲覧。
  2. ^ a b c 日本現代教育学大系 p.309 1927.

参考文献

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  • 大日本学術協会編『日本現代教育学大系 第7巻』モナス、1927年。 
  • 小原國芳他『八大教育主張 - 教育の名著』玉川退学出版部 1976年

関連項目

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