医王寺 (八代市)
熊本県八代市の仏教寺院
医王寺(いおうじ)は、熊本県八代市袋町にある高野山真言宗の寺院。九州八十八ヶ所百八霊場第54番札所。通称は足手荒神[1]。
医王寺 | |
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特徴的な仁王像と医王寺本堂 | |
所在地 | 熊本県八代市袋町5-34 |
位置 | 北緯32度30分20.7秒 東経130度36分19.7秒 / 北緯32.505750度 東経130.605472度座標: 北緯32度30分20.7秒 東経130度36分19.7秒 / 北緯32.505750度 東経130.605472度 |
山号 | 白雲山 |
宗旨 | 古義真言宗 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 薬師如来立像 |
創建年 | 不詳 |
正式名 | 白雲山醫王寺 |
別称 | 足手荒神 |
札所等 | 九州八十八ヶ所百八霊場第54番札所 |
文化財 | 薬師如来立像ほか |
法人番号 | 1330005006025 |
歴史
編集開基年代は不明だが、平安中頃の創建と伝える古刹である。当初は松江村と言った長丁筋(現在の八代市通町)にあったとされる。 天正(1573 – 1592)年中、キリシタンである小西行長によって破却され、寺跡は薬師森と呼ばれたという。
寛文2年(1662年)、八代城主・松井寄之が石原町(現在の八代市宮地町)に再建。 寛文5年(1665年)10月、夫の病気快癒を祈願した松井寄之の室・崇芳院尼が、現在地に移築して再興した。 当山派修験道の山伏・宝光院玄竜を住職とし、松井家の祈禱所としたという。
明治政府による神仏分離令を受けて、八代妙見宮(現在の八代神社)の普門院院主・阿度霊光が当寺に入って住持となり、院に安置されていた妙見菩薩像、石造の金剛力士(仁王)像や什物が寺に移された。
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足手荒神
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本堂
文化財
編集重要文化財(国指定)
編集- 木造薬師如来立像 - 崇芳院尼の信仰が篤かったと伝える。
熊本県指定重要文化財
編集八代市指定有形文化財
編集八代市指定有形民俗文化財
編集- 医王寺の庚申碑と青面金剛堂 - 青面金剛堂は足手荒神として今日でも参拝者が多く[2]、手足の病に霊験あらたかと信仰を集めている[3]。
その他
編集- 毎月1日 - 足手荒神祭
- 毎月15日 - 足手荒神祭
御詠歌
編集- 有明の海に白雲たなびきて あまねく救う瑠璃光の寺
所在地
編集- 熊本県八代市袋町5-34
交通
編集周辺
編集注釈
編集- ^ 『全国寺院名鑑 中国・四国・九州・沖縄・海外篇』203頁、『熊本県の地名』728頁、『角川日本地名大辞典 43 熊本』121頁、『日本名刹大事典』24頁
- ^ 『角川日本地名大辞典 43 熊本』121頁
- ^ 『九州八十八ヶ所百八霊場ガイド』69頁
- ^ 九州八十八ヶ所百八霊場会サイト内「第54番 白雲山 医王寺」の「行事」による。
参考文献
編集- 森本一瑞『肥後国志 巻之13』(熊本活版舎,1885)68-69丁
- 『全国寺院名鑑 中国・四国・九州・沖縄・海外篇』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会,1969)203頁
- 『日本歴史地名大系 第44巻 熊本県の地名』(平凡社,1985)728頁
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 43 熊本』(角川書店,1987)121頁
- 圭室文雄編『日本名刹大事典』(雄山閣出版,1992)24頁
- 春野草結『九州八十八ヶ所百八霊場ガイド』(朱鷺書房,2011)69頁