勝島仙之助

日本の獣医学者

勝島 仙之助(かつしま せんのすけ、安政5年10月11日[1][2]1858年11月16日) - 昭和6年(1931年12月27日[3])は、日本獣医学者漢詩人仙之介とも書く。号は仙坡

勝島仙之助

経歴

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備後国御調郡三原(現在の広島県三原市)出身[1]大阪英語学校を経て、1878年明治11年)に駒場農学校に入学した[1]1882年明治15年)、駒場農学校獣医学科を卒業[4]農商務省嘱託、助教授心得を経て、1887年(明治20年)に東京農林学校教授となった[1][2]1889年(明治22年)よりドイツに留学し、ベルリン高等獣医学校で学んだ[1]1891年(明治24年)に帰国し、帝国大学農科大学(のち東京帝国大学農学部)教授となった[1]1899年(明治32年)には獣医学博士学位を受けた[1][2]1920年大正9年)に退官し、東京帝国大学名誉教授称号を得た[2]

その他、中央獣医会会長、帝国競馬協会顧問などを歴任した[2]。墓所は多磨霊園

著書

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  • 『袖珍獣医宝鑑』(有隣堂、1888年) 与倉東隆と共著
  • 『家畜内科学』(朝香屋、1899年)
  • 『仙坡遺稿』(1934年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 大正人名辞典 1917, p. 1434.
  2. ^ a b c d e 大衆人事録 1930.
  3. ^ 『官報』第1514号、昭和7年1月20日
  4. ^ 『帝国大学一覧 従明治二十八年至明治二十九年』帝国大学、1896年、p.517

参考文献

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  • 五十嵐栄吉『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。