加藤泰候

江戸時代中期の大名

加藤 泰候(かとう やすとき)は、江戸時代中期から後期の大名。別名、泰輝。伊予国大洲藩の第9代藩主官位従五位下遠江守

 
加藤泰候
加藤泰候像(如法寺蔵)
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦10年3月2日1760年4月17日
死没 天明7年7月4日1787年8月16日
改名 次郎四郎、泰候
別名 泰輝
墓所 愛媛県大洲市柚木の如法寺
東京都台東区松が谷三丁目の海禅寺
官位 従五位下遠江守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治家斉
伊予大洲藩
氏族 加藤氏(光泰系)
父母 加藤泰衑:不詳
養父加藤泰行
兄弟 喜連川恵氏泰行溝口直英泰候泰豊泰周大関増業稲垣長以正室、毛利高標正室、恭心院ら
正室藤堂高朗の娘・栄性院
継室松平容頌の養女・春洞院
側室:知貞院
泰済泰倫松平定信養女ら
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略歴

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第6代藩主・加藤泰衑の四男として誕生。幼名は次郎四郎。

明和6年(1769年)、先代藩主で兄の泰行の死去により、養子となって跡を継いだ。藩財政再建のため、安永4年(1775年)に磁器生産を命じて、砥部焼を創始させる。天明7年(1787年)7月4日に死去し、跡を長男の泰済が継いだ。

書道の腕に優れており、法華寺の「護国」・見性庵の「願王殿」「龍澤山」などの泰候の書を彫刻したものが木額として残っている。

系譜

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