劉郃
劉 郃(りゅう こう、生年不詳 - 光和2年10月14日(179年11月30日))は、後漢の宗室。字は季承。河間郡の人。兄は劉儵。
生涯
編集光和2年3月(179年)、袁滂の後任として司徒に任じられた[2]。曹節・張譲ら宦官を誅殺しようと、永楽少府の陳球・衛尉の陽球・歩兵校尉の劉納と謀った[3]が、陽球の妾は中常侍程璜の娘であったため曹節は程璜に賄賂を送って脅迫し、事が露見した。曹節らは霊帝に劉郃ら4人が謀反を企んでいると上奏したため、逮捕されて10月14日(11月30日)に獄死した[2]。
出典
編集- ^ (中国語)『『後漢書』巻六十下 蔡邕列伝 第五十下』。ウィキソースより閲覧。
- ^ a b (中国語)『『資治通鑑』巻五十七 漢紀四十九』。ウィキソースより閲覧。
- ^ (中国語)『『後漢書』巻八 孝霊帝紀 第八』。ウィキソースより閲覧。