冷泉為久
冷泉 為久(れいぜい ためひさ)は、江戸時代中期の公卿・歌人。上冷泉家14代当主。
冷泉為久肖像(高槻重起画) | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 貞享3年1月11日(1686年2月3日) |
死没 | 寛保元年8月29日(1741年10月8日) |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 中御門天皇→桜町天皇 |
氏族 | 上冷泉家 |
父母 | 父:冷泉為綱 |
兄弟 | 為久、日野光茂、柳原光綱 |
妻 | 正室:寂恩の娘[1] |
子 | 為村 |
経歴
編集官位は正二位・権大納言。享保14年閏9月19日(1729年11月9日)民部卿に任じられる。また、武家伝奏(享保19年(1734年)11月22日 - 寛保元年(1741年)8月29日)も務めた。
系譜
編集- 父:冷泉為綱
- 母:不詳
- 正室:寂恩の娘
- 生母不明の子女
- 男子:冷泉為村(1712-1774)
脚注
編集- ^ 本願寺。