兼田亜季重
兼田 亜季重(かねだ あきしげ、1990年2月26日 - )は、広島県福山市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
カタカナ | カネダ アキシゲ | |||||
ラテン文字 | KANEDA Akishige | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1990年2月26日(34歳) | |||||
出身地 | 広島県福山市 | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 71kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2002-2007 | サンフレッチェ広島 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2008-2013 | 愛媛FC | 3 | (0) | |||
2014-2015 | モンテディオ山形 | 3 | (0) | |||
2016-2017 | アビスパ福岡 | 15 | (0) | |||
2018 | 大分トリニータ | 0 | (0) | |||
通算 | 21 | (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集広島県福山市の少年チームを経て2002年、サンフレッチェ広島ジュニアユースに入団する[1]。同級生に横竹翔がいる。2003年、ナイキプレミアカップジャパン優勝に貢献、決勝戦はPK戦となったが1本止めて勝利に貢献している。それにより出場権を得たマンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップでは最終戦である順位決定戦1試合のみ出場している[2]。
2005年、広島ユースに昇格[1]。同級生に横竹・内田健太・篠原聖・中野裕太。2006年高校2年時途中、1学年上で正GKを務めていた金山隼樹が怪我により欠場したことからレギュラーを掴み、Jユースカップ優勝に貢献した。2007年高校3年時はキャプテンとして活躍したが、正GKは1学年下の原裕太郎に奪われる結果となった。
2008年、J2・愛媛FCに加入[1][3]。当時愛媛GKコーチの山中亮は、兼田が広島ジュニアユース時代の恩師であった[4]。のち笹原義巳に指導を受ける[3]。ただ川北裕介や秋元陽太の前に控えGKに甘んじていた[3]。
2014年、モンテディオ山形へ完全移籍[1][3]。再び笹原から指導を受けることになった。清水健太と常澤聡に次ぐ第3GKという序列だったが、清水の負傷離脱後は浦和レッズから加入した山岸範宏の控えとしてベンチに入ることが多かった。
2016年、この年からJ1に昇格したアビスパ福岡へ完全移籍。ここでもイ・ボムヨンと神山竜一の控えに回りベンチ外の試合が殆どであったが、J2降格決定後の最終節・柏レイソル戦で移籍後初出場。プロ9年目にしてJ1リーグ戦デビューを果たした。2017年は前年の福岡のJ2降格に伴い3年ぶりに同リーグでのプレーとなった。中盤戦に杉山力裕からポジションを奪取し自身のキャリアで最多の公式戦15試合に出場したが、終盤戦は控えに周りシーズン終了後に契約満了により退団[5]。
2018年、大分トリニータに移籍したが[6]、公式戦の出場及びベンチ入り機会は無かった。同年オフにはJFAの移籍リストに名前が掲載された[7]。 また同年12月12日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトにも出場した[8]が、移籍先は見つからず2019年2月15日に大分より現役引退が発表された[9]。
2024年 7月10日 午前4時半頃、札幌市豊平区羊ケ丘にあるトンネル内で酒気帯び運転の疑いで逮捕
所属クラブ
編集個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2008 | 愛媛 | 35 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2009 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
2010 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
2011 | 21 | 2 | 0 | - | 1 | 0 | 3 | 0 | |||
2012 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
2013 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | 2 | 0 | ||||
2014 | 山形 | 16 | 3 | 0 | - | 0 | 0 | 3 | 0 | ||
2015 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
2016 | 福岡 | 25 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
2017 | J2 | 14 | 0 | - | 1 | 0 | 15 | 0 | |||
2018 | 大分 | 23 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
通算 | 日本 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | |
日本 | J2 | 20 | 0 | - | 3 | 0 | 23 | 0 | |||
総通算 | 21 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 25 | 0 |
タイトル
編集クラブ
編集- アンダーカテゴリー
- ナイキプレミアカップジャパン (2003年優勝)
- Jユースカップ (2006年優勝)
代表歴
編集- U-16日本代表候補 (2005年)
- U-18日本代表候補 (2007年)
脚注
編集- ^ a b c d “兼田亜季重選手 愛媛FC より完全移籍加入のお知らせ”. J's GOAL (2013年12月23日). 2014年6月1日閲覧。
- ^ “Manchester United Premier Cup World Finals 2003 順位決定戦(vsD.I.Medellin)試合結果”. J's GOAL (2003年7月22日). 2014年6月1日閲覧。
- ^ a b c d “【モンテ】新戦力[6]GK兼田亜季重 シュートに鋭く反応”. 山形新聞 (2014年2月4日). 2014年6月1日閲覧。
- ^ “【海外赴任レポート】 北マリアナ諸島 山中 亮さん”. 日本サッカー協会 (2011年11月). 2014年6月1日閲覧。
- ^ 『アビスパ福岡 契約満了選手のお知らせ』(プレスリリース)アビスパ福岡、2017年12月5日 。2017年12月29日閲覧。
- ^ 『兼田亜季重選手 アビスパ福岡より完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)大分トリニータ、2018年1月10日 。2018年1月13日閲覧。
- ^ “移籍リスト”. 日本サッカー協会 (2019年1月29日). 2019年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月3日閲覧。
- ^ “2018 JPFAトライアウト”. sportsnavi (2018年12月12日). 2022年12月3日閲覧。
- ^ 『兼田 亜季重選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)大分トリニータ、2019年2月15日 。2019年2月16日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 兼田亜季重 - Soccerway.com
- 兼田亜季重 - FootballDatabase.eu
- 兼田亜季重 - WorldFootball.net
- 兼田亜季重 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 兼田亜季重 - J.League Data Siteによる選手データ