八沢村 (岩手県)
日本の岩手県東磐井郡にあった村
八沢村(やさわむら)は、1955年(昭和30年)まで岩手県東磐井郡にあった村。現在の一関市藤沢町砂子田・藤沢町徳田・藤沢町新沼・藤沢町増沢にあたる。
やさわむら 八沢村 | |
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廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 八沢村、藤沢町、黄海村、大津保村(一部) → 藤沢町 |
現在の自治体 | 一関市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 岩手県 |
郡 | 東磐井郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 20.00 km2. |
総人口 |
3,743人 (『岩手県町村合併誌』、1955年2月) |
隣接自治体 | 東磐井郡:藤沢町、千厩町、薄衣村、小梨村、大津保村 |
八沢村役場 | |
所在地 | 岩手県東磐井郡八沢村砂子田字高田74 |
座標 | 北緯38度53分06秒 東経141度21分07秒 / 北緯38.88494度 東経141.35206度座標: 北緯38度53分06秒 東経141度21分07秒 / 北緯38.88494度 東経141.35206度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集自然
編集- 河川:黄海川、南小梨川、砂子田川、大平川
沿革
編集行政
編集歴代村長
編集代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
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1 | 千葉喜平太 | 1889年(明治22年)5月26日 | 1893年(明治26年)5月25日 | |
2-3 | 菅野操 | 1893年(明治26年)5月26日 | 1897年(明治30年)10月16日 | |
4 | 佐藤亮助 | 1897年(明治30年)10月26日 | 1900年(明治33年)4月1日 | |
5 | 菅野操 | 1900年(明治33年)4月23日 | 1903年(明治36年)10月17日 | 再任 |
6-8 | 千葉小平太 | 1903年(明治36年)11月18日 | 1914年(大正3年)1月24日 | |
9 | 星丑彦 | 1914年(大正3年)2月6日 | 1918年(大正7年)2月5日 | |
10 | 伊藤亭治 | 1918年(大正7年)3月29日 | 1918年(大正7年)12月5日 | |
11 | 高橋正躬 | 1919年(大正8年)4月2日 | 1920年(大正9年)12月7日 | |
12-13 | 千葉小平太 | 1921年(大正10年)2月5日 | 1927年(昭和2年)9月19日 | 再任 |
14 | 岩山剛 | 1927年(昭和2年)10月4日 | 1931年(昭和6年)10月3日 | |
15 | 菊地運治郎 | 1931年(昭和6年)10月13日 | 1935年(昭和10年)10月12日 | |
16 | 佐藤季男 | 1935年(昭和10年)10月14日 | 1939年(昭和14年) | |
17 | 千葉小平太 | 1939年(昭和14年)11月5日 | 1943年(昭和18年) | 三任 |
18 | 佐藤季男 | 1943年(昭和18年)12月18日 | 1946年(昭和21年)11月28日 | 再任 |
19-20 | 伊藤正敏 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1954年(昭和29年)1月18日 | |
21 | 佐藤季男 | 1954年(昭和29年)2月20日 | 1955年(昭和30年)3月31日 | 三任 |
教育
編集村内に高等学校は所在しない。
最寄りの高校は岩手県立藤沢高等学校(藤沢町藤沢)。
中学校
編集- 八沢村立八沢中学校
※以下は廃校
小学校
編集出身著名人
編集脚注
編集出典
編集- ^ a b 藤沢町史編纂委員会 編『藤沢町史 本編 下』藤沢町、1981年3月25日、165頁。doi:10.11501/9570523。
- ^ “まちの総合情報誌Fujisawa 第663号”. 藤沢町. pp. 6-7 (2009年4月15日). 2011年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月23日閲覧。
- ^ 「魂の浪花節 とどろかせ 25日に引退公演(東京・浅草木馬亭)藤沢出身ベテラン全盲浪曲師・大利根勝子さん【一関】」『岩手日日』2023年2月21日。2023年2月21日閲覧。
参考文献
編集- 『岩手県町村合併誌』(岩手県総務部地方課、1957年)