佐藤 定七(さとう さだしち、1848年嘉永元年11月[1][2]) - 1903年明治36年)11月4日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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越後国蒲原郡(のち新潟県中蒲原郡新関村五泉市新津市(現・新潟市秋葉区)に分割)生まれ[1]。新関村長となる[2]

1894年3月の第3回衆議院議員総選挙において新潟3区から自由党所属で立候補して当選する[3]。同年9月の第4回衆議院議員総選挙は不出馬。衆議院議員は1期務め、1903年に死去した。

脚注

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  1. ^ a b 衆議院 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第202回』衆議院事務局、1940年、197頁。NDLJP:1278238 
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』274頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』14頁。

参考文献

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  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。