佐竹 庄七(さたけ しょうしち、1880年3月15日[1] - 1946年1月4日[2])は、日本の政治家衆議院議員(4期)。

経歴

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大阪府出身[3]1901年大阪府師範学校卒、のちに東京専門学校で学ぶ[3]。小学校訓導兼校長、大阪市北区済美連合区会議員、大阪市衛生組合長、同学務委員となる[3]。また浪速窯業(株)重役、東邦護謨、大阪産業無尽各(株)社長となる[2]

1920年第14回衆議院議員総選挙において大阪7区から無所属で立候補して初当選[4]、以来連続4回当選する。1932年第18回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1946年死去。

脚注

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  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、4頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』272頁。
  3. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』271頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』67頁。

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。