佐久間盛雄

日本の江戸時代中期~後期の武士。江戸幕府旗本日下房数の子で、信常系佐久間氏(信重系佐久間氏分家)6代当主佐久間信忠養子。信常系佐久間氏7代当主

佐久間 盛雄(さくま もりお)は、江戸時代中期の旗本。初め信免(のぶとき)、信為(のぶため)と名乗った。

 
佐久間盛雄
時代 江戸時代中期
生誕 享保18年(1733年
死没 天明5年6月4日1785年7月9日
改名 信免→信為→回及(号)
別名 通称:主殿、権八郎
戒名 正太
墓所 東京都港区麻布の善学寺
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家重家治
氏族 佐久間氏
父母 父:日下銕五郎房数、母:日下小十郎宗殷の娘
養父:佐久間信忠
兄弟 男子、男子、盛雄
養兄弟:信義
朝倉軍次郎継利の娘
養子:信義
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生涯

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宝暦9年(1759年)12月24日、養父・佐久間信忠から家督(蔵米250俵)を継いだ。宝暦10年(1760年)6月26日より明和3年(1766年)10月20日まで大番を勤めた。

明和7年(1770年)4月22日、隠居。回及と号した。

天明5年(1785年)6月4日、死去。享年53。