佐久間安次
日本の江戸時代前期の大名。信濃飯山藩2代藩主佐久間安長長男で、飯山藩3代藩主
佐久間 安次(さくま やすつぐ、寛永7年(1630年) - 寛永15年11月20日(1638年12月25日))は、信濃国佐久間氏飯山藩の第3代藩主。第2代藩主・佐久間安長の長男。官位なし。
幼名は三五郎。寛永9年(1632年)、父が死去したためにわずか3歳で家督を継いだ。このため、藩政は重臣の手によって執り行われている。しかし寛永15年(1638年)11月20日に9歳で死去した。当然、嗣子があろうはずもなく、佐久間家は断絶し、改易となった。法号は大雄院殿徳用宗麟童子。平成に入り、菩提寺の大聖寺(長野県飯山市)に位牌が新調された。
参考文献
編集- いいづな歴史ふれあい館特別展図録『飯綱の地をひらいた“殿様”‐佐久間兄弟と長沼藩・飯山藩』2015年